2019/11/10

給食

子供の頃の給食。

どちらかと言えば、僕は苦手な方だった。
太平洋戦争前後の食糧難の時代を過ごされた方から言えば、何を贅沢を言っているんだ!とお叱りを受けるだろう。

が、僕らの育った世代。
少なくとも飢えていたという記憶はない。
かと言って食卓に並ぶ素朴なおかずに文句を言える年代でもない。

その反動だろうか。
今の僕は食に対してかなりわがままだ。
食べたいものを食べたいときに食べる。
ある意味迷惑至極な人なのだ。


話が逸れた。
給食に話を戻そう。

いつだったかな。
仕事で広島県の何とかという田舎町を車で通過していた。
そこでふと目に止まった廃校。
普通、廃校というやつはひと目で廃校と分かる雰囲気を醸し出している。
嘗て子どもたちの歓声が響いていたであろうその校庭と校舎は、「役目を終えたもの」としてその存在感を静かに誇示しているようなものなのだが、ここの廃校は少し違っていた。

「給食やってます!」
と書いた幟が校門のはためいているのだ。

好奇心の強い慈恩君。
この機会を逃すはずはない。

校庭に車を駐め、正面玄関を入るとこんな風景が出迎えてくれた。





















1960年代を下落合で過ごした僕の覚えている学校とは少し違っている。
あの時代、新宿は爆発的な人口増加と東京オリンピックに伴う再開発で、僕の通う小学校も木造校舎が次々に取り壊され、新たにコンクリート作りの校舎がさほど広くもない校庭を侵食し始めていた。
4,000人近い児童が通う小学校は情緒というものには程遠いものだったのだ。

こんな山の学校に通ってみたかったとふと思った。
濃密な人間関係が構築されていたであろう小さな学校。
親も子どもたちも誰もが顔なじみの極小のCommunity。

・・・息苦しいような気もするな(笑)



さて、給食である。

給食セット、税込み1,080円(増税前)




















カレー、鯨の竜田揚げ、揚げパン、サラダ、冷凍みかん、脱脂粉乳というラインナップ。
まぁ王道だな。
と言うかどれも美味すぎだった。
懐かしいというよりも美味いの方が先に立ってしまう。
鬼門の脱脂粉乳も、あの少し茶色がかった膜の張っていた最強に不味いやつではなく、普通にスキムミルクだった。

例えば、奇をてらってあの時代の給食にあったように、春雨の酢の物に食パンという訳の分からない組み合わせをメニューに加えたらどうだろう。
今だったら、その酢の物で一杯やるのだろうか。
で、食パンはお持ち帰りにしてバックの底でガビガビに(笑)


それでも懐かしい味に満足した僕の目にふと止まった古い足踏みオルガン。




















Deep Purpleの"StrangeWoman"のイントロを片手でなぞってみたのだが
案の定音の出ない鍵盤がある。
F2、B1、C2・・・

それはこの学校に通っていた子どもたちの、まさしく「今」を表しているのかも知れない。
一人欠け、二人欠け、そしていつかは全ての鍵盤は鳴らなくなってしまうのだ。