夕方、オランダ通りを歩いた。
エルトン・ジョンではないが、「黄昏のレンガ道(Yellow Brick Road)」は素敵だ。
道行く人たちは少しの疲労感と、そして「拘束」からの僅かな開放感を表情に漂わせながら歩いている。
通り沿いにあるビストロの窓からは、幸せそうな恋人達の笑顔が見てとれる。
スクランブル交差点の角で、所在なさげに立っている彼女は未だ来ない恋人を待っているのだろう。
そんな時間の街が好きなのだ。
2017/05/15
2017/05/07
Love & Peace
1969年8月。
アメリカはニューヨーク州サリバン郡で行われた"Woodstock Music and Art Festival"
1969年と言えば僕は11歳。
こんなフェスティバルが行われた事など露ほども知らない子供だった。
まだ半ズボンをはいて外を飛び回っていた頃だ。
この愛と平和の祭典が行われた事を知ったのは中学に入ってから。
洋楽に興味を持ち始め、ミュージックライフを読んで知ったのだ。
そしてちょうどその頃・・・神楽坂に開館したばかりのギンレイホールにウッドストックの映画がやってきた。
記憶は曖昧なのだが、確かその頃だと記憶している。
同時上映はなんだったっけ。
イージーライダー?
いや、そんな事はどうでもいいのだが
とにかく僕はそのドキュメンタリーフィルムを見ていたく感激したのだ。
なかでも"Sly & The Family Stone"の『Higher』
そして"Joe Cocker"の『With A Little Help From My Friends』
この2曲はその後も僕の中で特別な存在であり続けたほどだ。
もちろん言うまでもなく他のアーティストも素晴らしかった。
が、何と言っても僕が憧れたのは、あのヒッピームーブメントの自由さ。
まだ純粋だった僕は、音楽で世界が「Love & Peace」に包まれると確信したのだ(笑)
その時以来、僕は野外コンサートに憧れる月日を過ごす。
いつか青空の下で「愛と平和の祭典」を経験してみたかったのだ。
しかし、その機会を得るには、それから約5年を要する。
高校3年の夏休み。
オールナイトロックコンサートが行われた。
今となっては誰が主催者で、他に誰が出てて、自分のバンドが何を演ったのかも覚えていないが、とにかく進行がグダグダだったのは良く覚えている。
何だかビールと西瓜はやたら豊富に用意されていたような記憶もある(笑)
とにかく僕の憧れていた「愛と平和の祭典」とは程遠いものだった。
あ、ひとつだけ鮮明に覚えてることがある。
僕はひとり海岸に腰掛けビールを飲みながら、当時付き合っていた彼女の事を想っていた。
彼女にこの沈み行く夕陽を見せてあげたいとぼんやり考えていたのだ。
本番もそれ以外も殆ど覚えていないグダグダの野外コンサートの中で、そのシーンだけが妙にリアルだ。
そしてそれは生々しいリアルさではなく、ほんのりとセピア色のリアルさ。
僕はあの頃の「僕の後姿」を記憶にとどめている。
それはまるで古いアルバムに貼ってある1枚の写真のようだ。
アメリカはニューヨーク州サリバン郡で行われた"Woodstock Music and Art Festival"
1969年と言えば僕は11歳。
こんなフェスティバルが行われた事など露ほども知らない子供だった。
まだ半ズボンをはいて外を飛び回っていた頃だ。
この愛と平和の祭典が行われた事を知ったのは中学に入ってから。
洋楽に興味を持ち始め、ミュージックライフを読んで知ったのだ。
そしてちょうどその頃・・・神楽坂に開館したばかりのギンレイホールにウッドストックの映画がやってきた。
記憶は曖昧なのだが、確かその頃だと記憶している。
同時上映はなんだったっけ。
イージーライダー?
いや、そんな事はどうでもいいのだが
とにかく僕はそのドキュメンタリーフィルムを見ていたく感激したのだ。
なかでも"Sly & The Family Stone"の『Higher』
そして"Joe Cocker"の『With A Little Help From My Friends』
この2曲はその後も僕の中で特別な存在であり続けたほどだ。
もちろん言うまでもなく他のアーティストも素晴らしかった。
が、何と言っても僕が憧れたのは、あのヒッピームーブメントの自由さ。
まだ純粋だった僕は、音楽で世界が「Love & Peace」に包まれると確信したのだ(笑)
その時以来、僕は野外コンサートに憧れる月日を過ごす。
いつか青空の下で「愛と平和の祭典」を経験してみたかったのだ。
しかし、その機会を得るには、それから約5年を要する。
高校3年の夏休み。
オールナイトロックコンサートが行われた。
今となっては誰が主催者で、他に誰が出てて、自分のバンドが何を演ったのかも覚えていないが、とにかく進行がグダグダだったのは良く覚えている。
何だかビールと西瓜はやたら豊富に用意されていたような記憶もある(笑)
とにかく僕の憧れていた「愛と平和の祭典」とは程遠いものだった。
あ、ひとつだけ鮮明に覚えてることがある。
僕はひとり海岸に腰掛けビールを飲みながら、当時付き合っていた彼女の事を想っていた。
彼女にこの沈み行く夕陽を見せてあげたいとぼんやり考えていたのだ。
本番もそれ以外も殆ど覚えていないグダグダの野外コンサートの中で、そのシーンだけが妙にリアルだ。
そしてそれは生々しいリアルさではなく、ほんのりとセピア色のリアルさ。
僕はあの頃の「僕の後姿」を記憶にとどめている。
それはまるで古いアルバムに貼ってある1枚の写真のようだ。
2017/05/01
Chet Baker
雨降りの月曜日の朝に、彼の歌声を聴くと、必ず仕事に行きたくなくなる。
それほどに彼の声は怠惰に満ちていた。
80年代が、青い空と、海と、サーフボードに満ち満ちていた時、その裏面に彼がいつもいた。
薄暗いショットバーに、彼の歌声とペットの音が良く似合った。
かれの破滅的な生き方が、妙に軽薄で明るすぎる80年代の空気になぜか似合っていた。
1988年5月13日、チェットはオランダアムステルダムのホテルの窓から転落して死亡した。
その日以来、僕を仕事に行かせなくなる程のミュージシャンは現れていない。
それほどに彼の声は怠惰に満ちていた。
80年代が、青い空と、海と、サーフボードに満ち満ちていた時、その裏面に彼がいつもいた。
薄暗いショットバーに、彼の歌声とペットの音が良く似合った。
かれの破滅的な生き方が、妙に軽薄で明るすぎる80年代の空気になぜか似合っていた。
1988年5月13日、チェットはオランダアムステルダムのホテルの窓から転落して死亡した。
その日以来、僕を仕事に行かせなくなる程のミュージシャンは現れていない。
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