ここ数ヶ月、毎朝1時間強歩いている。
歳を重ねると朝早く目覚めるようになるというのは全くもってその通りであるのだが、午前4時に目覚める僕は、若い頃と違いこの時間からまさか酒を飲むわけにもいかず、手持ち無沙汰に時を過ごしていた。
が、ある日ふと外に出てみようと思い立ち、玄関のドアを開けてみた。
と、そこには酒に爛れて朝帰りをしていた頃の夜明け前とは違う、「確かな朝」があるではないか。
写真は今朝の日の出の写真。
毎朝同じコースを歩いていると、同じようにウォーキングやランニングをしている人たちと必然的に顔見知りになってゆく。
それは「健康」というひとつのアイコンに縋り付く、かりそめの価値観を共有する者たちの社交場だ。
皆それぞれの人生の重みを背負って黙々と歩み走る。
これは苦行なのか趣味なのか娯楽なのか
仏陀は「人生はひとり荒野を歩くようなもの」と説いた。
とすれば、毎朝会うあの人達は、まさしくその教えを具現している訳だ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
一昨日の夕刻、ひとりの男が旅立った。
僕の人生の中の、音楽の部分で少しだけ関わった人。
その関わった時間はほんの短い時間だったけれど、多分最も濃い時間を過ごした人。
人生は出会いと別れの繰り返し。
この歳になると、そんな事は重々承知している。
それでも寂寥感は拭えない。
やり切れない想いはどこへ向かう。
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