百間川の土手を通った。
中年・・・と言うか初老と言った方がいいような男たちが集まっている。
何をしてるんだろうと車を止めて見てみると、何とラジコンの飛行機やらヘリやらを飛ばしていた。
定年後の趣味なのだろうか。
数年前まではいっぱしの部長や課長だったような方たちが、子供のような屈託のない笑顔と、そしてそれに相反するような真剣さで操縦器を握っている。
酷い暑さの予感を漂わせながらも、気持ちのいい朝の風が吹き抜ける夏の川原で、彼らは本当に楽しそうに時を過していた。
こういう人生もいいものなのかなぁ、としみじみ考える。
古い話で恐縮だが、ずいぶん若い頃に印刷屋でアルバイトをした事がある。
写植などがまだ普及しきっていない時代、所謂活版印刷が主流という時代のお話だ。
僕は渡された原稿を元に、鉛で出来た活字を一文字づつ棚から拾っていく仕事をしていたのだが、その拾い上げた活字を活版に組む職人さんがいた。
年の頃なら40過ぎだったろうか。
彼は8時半に出勤してきて、5時半に作業が終わるまで毎日黙々と活版を組んでいた。
聞くとそれを20年以上続けていると言う。
趣味は何ですか?と聞くと、毎日一本のビールとテレビでの巨人戦なんだそうである。
それだけが唯一の楽しみなんだと。
これには唖然とした。
ようやく10代も後半に差し掛かろうかという僕には、到底理解出来ない彼の人生だったのだ。
また、高校生の頃に喫茶店でバイトをしていた。
その店に毎週日曜日の朝、決まった時間に必ず現れる3人のおとなしそうな中年の男たちがいたのだが、彼らはいつも同じモーニングサービスを頼み、何を話すでもなく、美味そうにコーヒーをすするだけの時間をきっかり30分過ごして帰っていった。
まるでその席だけが、流れる時間に置いてきぼりを食ってるような感覚さえ覚えたものだ。
当然のように、この男たちの人生も当時の僕には全くと言っていいほど理解が出来なかった。
何といっても、僕らの見るもの触れるもの全てが輝いていた時代なのだ。そんな貧乏臭い人生は真っ平ゴメンだと思っても仕方がないではないか。
けれど、今なら彼らを充分に理解出来るような気がする。
どんな人にも、それぞれのドラマがあり、そしてそれぞれの人生がある。
毎日の一本のビールも巨人戦のテレビも、そして毎日曜日のモーニングサービスも、彼らにとっては何物にも変えがたい「聖なる領域」だったのだと今の僕は知っている。
そして誤解を恐れずに言えば、これはひょっとして女性には理解して貰えない事ではないのかなとも思っている。
ステテコを穿いてビール片手にテレビの野球を見ている毎日の姿は、女性にとってあまり魅力的には映らないのだろう。
僕は運良く音楽と出会った。
そしていつも音楽がそこにあった。
でも、もし僕が音楽と出会っていなかったら?
印刷屋のその彼と同じように一本のビールとテレビの巨人戦だけが楽しみな人生を送っているかも知れないではないか。
いや、それはそれで案外悪くないような気もするんだけどね(笑)
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