2017/03/26

Johnny B Good

ギター少年の誰もが一度は弾いたことのあるフレーズ。
それが、"Jhonny・B・Good"のあのイントロ。

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ロックンロールの創始者の一人とされるアメリカのミュージシャン、チャック・ベリーが3月18日に死去したと、ミズーリ州セントチャールズ警察が発表した。この日の午後12時40分に救命救急が呼ばれたが、手当の甲斐なく、午後1時26分に亡くなったという。90歳だった。

FOXニュースによると、ベリーは1926年、ミズーリ州のセントルイスで生まれた。隣人からギターの基礎を学び、1952年にピアニストのジョニー・ジョンソン率いるグループに参加。その間、ベリーは生活のために、美容師として働いてたという。

しかし、すぐにチェス・レコードと契約。「メイベリーン」という曲でデビューした。独特のギター奏法とギターを弾きながら腰を曲げて歩く「ダックウォーク」が話題となり、その後、「ロール・オーヴァー・ベートーヴェン」「ロックンロール・ミュージック」「ジョニー・B・グッド」などをヒットさせた。
"THE HUFFINGGTON POST" http://www.huffingtonpost.jp/2017/03/18/chuck-berry_n_15456876.html
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僕らだけではない。
今も活躍するあのスーパーギタリストも、今はもう亡くなってしまったあのギタリストも、おそらくは世界中のギタリストの殆どが弾いた覚えがあるイントロ。
ジョンもキースも彼を敬愛している。

「ロックンロールの創始者をひとりに決めることはできないが、一番近い存在がベリーだ。」
これは1983年に第一回のロックの殿堂入り決めた時に発表された殿堂側のコメント。

とは言っても、僕らの年代はチャック・ベリーそのものをを殆ど聴いたことはない。
彼の曲をカバーしたそれぞれの名演を聴いて育った世代なのだ。
例えば前述の"Jhonny B Good"を僕が始めて聴いたのはエドガー・ウィンターの1972年にリリースされたライヴ版。
僕の弾く"Jhonny B Good"はそのPLAYスタイルが今も基本となっている。
だとすれば、僕らはチャック・ベリーの孫みたいなものだ。

ロックンロールという音楽を作り出したチャック・ベリー。
その遺産は今もロックに確実に息づいている。

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2017/03/17

Good by say "Haruki Murakami"

僕が村上春樹を読んだのは「ノルウェーの森」まで。
いや、「ダンス・ダンス・ダンス」までは読んだか。
それ以降の氏の作品は何ひとつ読んでいない。
「騎士団長殺し」はもちろん「IQ84」もご多分に漏れずだ。


正直言えば、初期の彼の作品、特に「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」の群像3部作は今でも好きだ。
あの生活感の無さ、そしてライフスタイルは当時の世相と相まって、僕の心にピタリとはまった。
MJQを聴きながらパスタを茹でる、あるいはレーナード・バーンスタインを聴きながら時間をかけて髭を剃る、なんて事は当時の僕にも今すぐに出来そうな事だったのだ。

今では笑い話だが、物語の中の主人公の真似をして、とあるバーで落花生の皮を床にまき散らしてマスターに叱られた事もある(笑)

そんな僕も、いつしか氏の作品を読まなくなった。
なぜか急速に興味を無くしていったのだ。

それは氏の作品の中の「僕」と、実際の僕自身が乖離を始めたの結果なのだろう。
現実世界には「鼠」も「羊」も登場しない。
それが誰かへの比喩や投影であったとしても、少なくとも僕の前には存在しない。
それを知った僕は、1973年のピンボールをもはや弾かなくなっていたのだ。

が、今でも思うのは
氏の作品は、文字の後ろにいつも音楽が鳴っていた。
それも片岡義男のような押し付けの音楽ではなく、極々薄く・・・それはあたかも最初からそこにあるように当たり前に流れていた。

果たして騎士団長殺し」や「IQ84」もそういう世界観なのか。
暇ができたら一度読んでみたいとは一応思っている。

まったくやれやれである。


2017/03/12

A HARDEST NIGHT!!

「寝ずの番」
俳優の津川雅彦が2006年にマキノ雅彦名義で撮った第一回作品。
原作は中島らも。


夜中にCSでオンエアしていたのを見るともなく観た。
いや、これがね、実に面白かったのよ。
おそらくは6代目笑福亭松鶴をモデルにしているのであろう笑福亭橋鶴(長門裕之)のお通夜、そして一番弟子の橋次(笹野高史)、おかみさん(富司純子)と続くお通夜を描いた映画なのだが、それがなんとも粋で滑稽なのだ。


中でも橋太(中井貴一)と橋鶴との恋敵であった元鉄工所の社長(堺正章)の座敷歌合戦は圧巻だった。
とんでもなく卑猥な座敷歌の応酬なのだが、それは実に粋だ。
そして中井貴一と堺正章の芸達者ぶりには驚かされる。

悲しくもどこか可笑しい上方落語家のお通夜。
まさしく人情噺だね。

が、僕の目を一番惹きつけたのはこの人。
橋次と橋太が飲みに行ったバーにいた女(高岡早紀)なのだが、これがなんともスケベでいい女なのだ。
橋次は誘われて一夜を共にするのだが、橋次の語りと濡れ場で描くその描写は面白くも実にエロチック。
この映画が文科省推薦でR15指定という訳の分からないのもうなずけるというものだ。
あの高岡早紀に誘われて断る男はまずいないだろうと僕は思う。(笑)

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2017/03/05

Bun,Bun,Bun!

ミュージシャンのムッシュかまやつ(本名:釜萢弘 かまやつ・ひろし)さんが3月1日、すいガンのため都内の病院で死去した。78歳だった。
かまやつさんは2016年9月6日、肝臓がんで入院中であると所属事務所が公表。9月に予定していたコンサートを中止していた
がん公表時には、所属事務所を通じて「絶対復活するから心配しないでください! それまでいろいろご迷惑おかけします!」とメッセージを発表していた
スポニチによると、かまやつさんは2016年10月末に退院。以降は、いとこで歌手の森山良子(69)宅に身を寄せるなどして、通院治療を続けていたという。
2016年12月8日には、ザ・スパイダースで一緒に活動した堺正章の70歳記念ライブに姿を見せた。産経ニュースによると、堺が「1曲だけ歌っていく?」と冗談のつもりで提案すると、ムッシュは「(歌わないと)金(=ギャラ)をもらえなくなっちゃうからね」と、ザ・スパイダースの名曲「サマー・ガール」を堺とデュエットで披露。これが、最後の公の場となった。【The Huffington post】
http://www.huffingtonpost.jp/2017/03/01/monsieur-kamayatsu_n_15089570.html


かまやつひろしという人は音楽界に於いてどういう立ち位置だったのだろう。そんな風に僕はいつも思っていた。

僕が彼を知ったのはザ・スパイダーズのメンバーとしての彼だ。
が、アーティストとしては大野克夫に決して勝てはしないし、プレイヤーとしては井上堯之の足元にも及ばない。
ましてやエンターテイナーとして見れば、井上順と堺正章とは到底比較も出来ない。
だとすれば「かまやつひろし」という人はなぜザ・スパイダーズに存在していたのか。
僕はそれがずっと疑問であったのだ。
が、彼の代表曲と言われてる「我が良き友よ」のB面である、「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」を聴いて、その疑問が霧散のごとく晴れた。

当時、吉田拓郎とのデュオで発表した「シンシア」が売れて、所属先のCBS-SONYからその路線で行くことを強要されて発売した「我が良き友よ」。
しかしかまやつ氏自身はこの曲にあまり乗り気でなかったらしい。
ならばと言うことでB面に入れたのが「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」だ。

この曲は、その時代アメリカで人気のあった最強のファンクユニット、「タワー・オブ・パワー」をバックにただひたすら呟くという、実にかまやつ氏らしい作品。
そしてもうひとつ、特筆すべき曲は1970年に発表された「どうにかなるさ」。単純なフォーク系の曲かと思いきや、1番と2番のコードワークがまったく異なっている。
一番は確かに単純なストロークなのだが、2番は妙なテンションコードを使い、ジャズ的なコードワークも随所に見られる。

そういう粋でツボを心得た音楽的アプローチ。
それこそがスパイダーズに於けるかまやつ氏の存在感だったのだろうと思う。

多くのメディアは彼の代表曲を「我が良き友よ」と言っている。
が、決してそうではない。
彼の代表曲は彼がリリースした全ての曲だ。
そしてそのエッセンスこそがムッシューかまやつ氏そのものなのだと思う。

合掌。

ゴロワーズを吸ったことがあるかい / かまやつひろし
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2017/03/02

Hum,Hum,Hum

「鼻歌」
まぁ何とも言い得て妙な表現ではないか。

若い頃ほどではないが、僕は良く鼻歌を口遊んでいる。
気づけばいつも歌っている感じだ。
そして歌う曲はいつも決まっている。
それはスティービー・ワンダーの『心の愛(I Just Called to Say I Love You)』
別にこの曲が特別好きという訳でもないのだが、なぜかしら僕の鼻歌は決まってこの曲なのだ。
しかも必ずサビの部分を繰り返し歌っている。その理由は僕にも良く分からない。
尤も、この曲が世に出たのが1984年だから、それ以前は違う曲を口ずさんでいたはずなのだが、その記憶はトンとない。
いずれにしても、1984年以降、僕の口遊む鼻歌はこの曲に決定してしまっているのだ。

人はどんな時に鼻歌を口遊んでいるのだろうか。
想像出来るのは、ご機嫌で何か手作業をしている時とか、料理をしている時。
或いは自動車や自転車を運転している時だろうか。
鼻歌を口遊んでいる人を見ると、やはりどこかご機嫌さんな印象を受ける。
それは、機嫌が良かったり良い事があったりすると、やはり心が高揚し、無意識のうちに鼻歌を口遊んでしまうのだろう。
しかし、家人に言わせると、僕が鼻歌を歌っている時は、機嫌がいい時よりも寧ろ退屈している時なのだそうである。
そう言われてみると、確かにそんな気がする。
機嫌の良し悪しに拘わらず、どちらかという手持ち無沙汰な時に「♪アイ・ジャスト・コ~ル」とやっているようだ。