2019/03/31

Green book

観てきましたよ。

人種差別が色濃く残る1960年代アメリカ南部を舞台に、黒人天才ピアニストとそのボディガード兼運転手が演奏ツアーを通して友情を育む感動作『グリーンブック』。

粗野で無学なイタリア系のボディガード、トニーに扮するのは「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズや『はじまりへの旅』(2016)などで知られるヴィゴ・モーテンセン。
彼をツアーの運転手にスカウトした天才ピアニスト、ドクター・シャーリー役には『ムーンライト』(2016)でアカデミー助演男優賞を受賞したマハーシャラ・アリを迎え、笑いと感動に満ちた作品になっていた。

と、一般的な評価は各所で多く書かれているので割愛するとして。


僕は1980年代の初頭に無謀にも小説を書いてみようとしたことがある。
そのタイトルは『EXIT(非常口)』
ご多分に漏れず途中で挫折したのだが、その小説の冒頭はこうだ。

「人には『居場所』が必要だ。 そしてその居場所には必ず『EXIT(非常口)』が必要なのだ。」

この映画を観て、自分で書いたその言葉を思い出した。

ドクター・シャーリーには居場所がない。
黒人がクラシックを演奏することが許されない時代。
かと言ってジャズやR&BをPlayすることも自身が許さない。

白人には卑下され、黒人には嫉妬される。
ほんの短いシーンだが性的なマイノリティである場面も描かれている。

自身が何者なのか。
そしてどこへ向かおうとするのか。

その答えはトニーが教えてくれた。

「淋しいときには自分から動きな」

 ツアー最終日をドタキャンした下町のセッションも圧巻だし、ラストのトニーの家族に迎えられるシーンも感涙ものだが、やはり僕がお勧めのシーンは、トニーが呟くこのシーンと、ツアーから帰ったドクター・シャーリーがカーネギーホールの階上のあの豪華な部屋で玉座に座らないカット。


人には『居場所』と『EXIT』が必要だ。

そんなことを改めて思い出させてくれたこの映画。
いい映画でした。

 Green Book (2018) - At The Orange Bird Jukejoint Scene (9/10) | Movieclips

2019/03/24

Moon

古より、月は神秘的なもので在り続けています。
どの国の、どんな古い書物にも、月は必ず登場しています。

Spiritualな事には、まったくと言っていい程の門外漢なのですが、そんな僕でさえ、月には何か神秘的なものを感じます。

うんと若い頃、部活動や遊びで遅くなった時に、月明かりの中を帰るのが好きでした。
街中では分かりにくかった月明かりも、15歳の時に引っ越した郊外では、まるで身体中に降り注いでくる程の月明かりだったのです。
青く実りを迎えた稲穂は、月明かりに照らされて光る海のよう。
家々の屋根が、濡れたように鈍く輝いています。

そんな中、さっきまで一緒にいた彼女の温もりを反芻しながら、ゆっくりと自転車を漕ぐのが好きでした。

別れのときは雨の日が似合います。
幸せの中にいる時は、陽の光が似合います。
愛しい彼女との暫しの別れには、月の明かりが最も似つかわしいのでしょうか。

Moon River / Audrey Hepburn

2019/03/21

Old Days

仕事に使う資料を探そうと思いき、物置をごそごそ探していたら古い日記帳が出てきた。
見覚えのある、表紙に染みついた滲みのかたち。

そう、「あの頃」の僕が書いていた日記だ。

さぞかし、恥ずかしい事を書いていることだろうと思い、ページをぱらぱらと捲ってみたのだが
意に反して、案外マトモな事を書いているのには少々驚いた。
但し、ページの所々に書いてある「詩」はいただけない。
妙に肩の力が入っているのやら、自己満足の極みのようなものやら
それらは、あまりにも幼く、そしてあまりにも混迷している。

しかし、少なくとも「今の僕」よりも、はるかにピュアで純粋な「あの頃の僕」がいた。
抱え込んでいる諸所の問題を解決できないでいる僕や、迸る感情を持てあまし
途方に暮れている僕が、 確かにそこに存在していた。

懐かしさよりも、「あの頃の僕」を抱きしめてやりたくなる。

あの時、空を見上げた僕の目に映ったであろう「あの日の空」が
行き場のない、もどかしい愛の行方を想いながら、タメイキ混じりに眺めた教室の外の風景が
亡霊のように今、時を超えて蘇る。

Old days / Chicago

2019/03/20

Round Midnight

現在、AM 1:20
こんな時間に、ブログを更新しても禄なことはない。
大体において、夜中に書いたラブレターは、翌朝見ると恥ずかくて仕方のない代物なのだ。

夜という時間は特別。
深夜にひとり心地良い時間を過ごすのは格別。
それは、少年の頃から変わらぬ僕の思いだ。

そして夜は多弁でもある。
誰かさんが、「歴史は夜作られる」と言ったが、それはまさしくその通りなのであろう。
夜は人々を赤裸々にさせるのだ。

古から、人類は闇を恐れてきた。
闇には恐ろしい魔物が住んでいると、世界中のどこの国でも考えられてきた。
そして、そんな恐怖感を払拭するために、人々は技術を進化させ何とか闇を葬り去ろうとしてきたのだ。
が、やはり闇は変わらずそこにある。
人知の及ばぬモノが、そこには確実に存在しているのであろう。

夜中に、ひとりビールを飲みながらPCに向かう。
さすがにこの時間、どのSNSにもログインしている人はいない。
そう、これは僕だけの大切な時間なのだ。

夜は優しい。
そして、僕は残ったビールを飲み干すと、その優しさに包まれて眠る。

 
 Miles Davis Quintet - 'Round Midnight

R・I・P Yuya Uchida

ロック歌手で映画俳優としても活躍した内田裕也(うちだ・ゆうや、本名内田雄也)さんが17日5時33分、肺炎のため、東京都内の病院で死去した。79歳。兵庫県西宮市出身。17年11月に脱水症状で倒れてから車椅子生活を余儀なくされていた。18年9月15日に妻で女優の樹木希林さん(享年75)に先立たれ、喪失感が消えない中での死となった。都知事選出馬など常に話題を提供し続けたロック界のカリスマだった。葬儀は近親者のみの家族葬で執り行い、後日お別れ会を執り行う。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6317390

樹木希林が亡くなって半年。
ロックンローラー内田裕也が逝った。

僕が彼を知ったのは1970年の「日本語ロック論争」だった。
論争と言っても、当時人気のあった「はっぴいえんど」に内田裕也がイチャモンつけたようなもので、実のところ論争でもなんでもなかったような記憶がある。

その後、1971年に"フラワー・トラベリン・バンド(Flower Travellin' Band)"にハマった僕は、プロデューサーが内田裕也というのを後から知ることになる。

"内田裕也と1815 R&R Band"なんてバンドも聴いたが、さほど興味を惹く対象ではなく、僕にとっての内田裕也はロックンローラーやミュージシャンというよりも、偉大なプロデューサー、或いはコンサートプロモーターという認識だ。

マスコミでは奇行ばかりが報道され、その音楽的な事は殆ど語られることのない彼だが、実は日本のロック界に彼が与えた影響は計り知れない。
先にあげたプロデューサーとしての功績も多いが、やはり何と言っても日本に大規模な野外コンサートを根付かせた事は彼の経歴の中で最も素晴らしいことだろうと思う。

Flower Travellin' Band - Make Up (1973)

2019/03/17

YOUNG MUSIC SHOW

今は幸せな時代だ。
好きなミュージシャンの姿は、DVDを買えば見ることが出来る。
いやそれどころかYouTubeを見れば、それこそ莫大な数の動画を見ることが出来る。
中にはお宝と言ってもいいような動画もある。

僕らが音楽を始めた頃、演奏してる憧れのミュージシャンの姿などを見る事はまず無理だった。
せいぜい音楽雑誌のグラビアに載っている姿を見るのが関の山だったのだ。
もちろん当時中学生の僕には、外タレのコンサートに行けるようなお小遣いは持っていなかった。

が、そんな僕らにも時として実際に彼らがプレイしている姿を見ることが出来る日があったのだ。
それが1971年から1981年にかけてNHKが放映した「ヤングミュージックショー」
MTVさえまだなかった時代なので、この番組は僕らにとってまさしく神様的な存在だったのだ。


僕が始めてこの番組を見たのは、確か「EL&P」の時。
キース・エマーソンがオルガンにナイフを刺し、上に飛び乗るプレイを鮮明に覚えている。

調べてみると、全部で40回放映されたらしい。
以下に放映リストを載せてみる。どれだけ見ることが出来たのだろうか。


【NHKヤング・ミュージック・ショー放映リスト 1971/10~1979/3】
01 1971/10/24 クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル
02 1972/07/05 ローリング・ストーンズ(69/7/5ロンドン・ハイド・パーク)
03 1972/05/07 クリーム(68/11/26ロイヤル・アルバート・ホール)
04 1972/08/25 スーパーショウ(69/3ステーヴン・スティルス、バディ・ガイ、レッド・ツェッペリン、エリック・クラプトン、ジャック・ブルース、MJQ、ローランド・カーク他)
05 1972/10/08 エマーソン・レイク&パーマー
06 1973/03/17 ピンク・フロイド(71/10ライブ・アット・ポンペイ)
07 1973/03/18 リンディスファーン(73/02/13NHKスタジオ)前座ジプシーブラッド
08 1973/08/05 レオン・ラッセル&ヒズ・ビューティフル・フレンズ(71米国TVスタジオライヴ)
09 1973/10/20 エルトン・ジョン(ロンドン・フェスティバル・ホール)
10 1973/12/22 キャット・スティヴンスとディープ・パープル(スタジオ・ライヴ)
11 1974/08/04 エマーソン・レイク&パーマー(展覧会の絵コンサート)
12 1974/10/12 ロッド・スチュワート&フェイセス(英国エドモント公演)
13 1974/12/31 スリー・ドッグ・ナイト(クィーン・メリー号でのコンサート)
14 1975/03/15 ローリング・ストーンズ(ヴィデオ・クリップ集)
15 1975/05/10 ストローブス(75/4/14NHKスタジオ)
16 1975/08/30 モンタレー・ポップ・フェスティバル’67 解説:渋谷陽一
17 1975/10/04 シカゴ、ウェット・ウィリー、マーシャル・タッカー・バンド、オールマン・ブラザース・バンド
18 1975/12/21 リック・ウェイクマン(ヘンリー8世氷上ショー)
19 1976/05/05 ベイ・シティ・ローラーズ
20 1976/06/20 イエス(76/7ロンドン・クィーンズ・パーク公演)
21 1976/08/28 スーパー・トランプ(76/5/26NHK101スタジオ)
22 1976/10/09 ロッド・スチュワート&フェイセズ(74/12/23ロイヤル・アルバート・ホール)
23 1976/12/30 フリートウッド・マック、ロキシー・ミュージック(スウェーデン放送制作)
24 1976/12/19 ベイ・シティ・ローラーズ(76/12/19NHK101スタジオ)
25 1977/03/12 ローリング・ストーンズ(76/6パリ・アパトワール)
26 1977/05/07 キッス(77/04/02武道館)
27 1977/08/06 バスターとピーター・フランプトン
28 1977/09/10 ブライアン・フェリー(77/6/9NHK101スタジオ)
29 1977/07/08 グレッグ・オールマン(77/7/8NHKスタジオ)
30 1977/12/24 サンタナ
31 1978/01/02 パット・マグリン(NHKスタジオ)
32 1978/03/11 ボブ・マーリィ&ザ・ウェイラーズ(77/7/5レインボーシアター)
33 1977/12/05 フリートウッド・マック(77/12/5武道館)
34 1978/05/05 ロッド・スチュワート(76/12/24ロンドン・オリンピア)
35 1978/05/06 エレクトリック・ライト・オーケストラ
36 1978/08/05 レインボー(ミュンヘン・オリンピア・ホール)
37 1978/08/27 チープ・トリック、E.W&F
38 1978/09/02 ドゥービー・ブラザーズ(76サンフランシスコ・カウパレス)
39 1978/10/01 グラハム・パーカー(78/10/1NHK101スタジオ)
40 1979/03/26 デヴィッド・ボウイ(78/12/12NHKホール)

と、こんな風に並べてみると、見ていない方が多いじゃないか!
これ、DVD化される事はないのだろうか。
版権の関係で難しいのかな。
 

2019/03/10

Anthology "Takurou Yoshida"

大きな声では言えないが、実はよしだたくろうでギターを始めた口だ。
おんぼろガットギターを手に入れて、最初にギターコードを覚えたのは小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」だったのだが、YAMAHA FG-180を手に入れてから本格的にギターに取り組んだのは、よしだたくろうだった。

その当時の僕は、寝ても覚めてもたくろうで、彼の載っている音楽雑誌、週刊誌、何でも乏しいお小遣いで買い漁っていたものだ。
それがアルバム『青春の詩』や『たくろうオンステージ』を聞き倒していた1971年の頃。


そして1972年、僕が14歳の夏。名アルバム『元気です』が発売。
それを初めて聴いた時は、それこそ僕の人生すべてがたくろうになってしまったような気になってしまった。
『気ままな絵日記』なんて本を書い、その文章まで真似ていたような記憶がある。曰く「おかげさまで僕は元気なのです」(笑)

考えてみれば、その辺りが彼に対する情熱のピークだったのかな。
その後はご多分に漏れず洋楽に意識が傾いていく。アコギからエレキにギターを持ち替えたのもその頃だ。

しかし、三つ子の魂百までとはよく言ったもので、今でも彼の曲は暗譜で弾けるものが多い。
先日のブログで最近アコギを良く弾いていると書いたが、ふと気づくと「ある雨の日の情景」のイントロを何気なく弾いていたりする。ちゃんとカポを5フレットに付けて。

そんな彼も、僕にとって今では「Anthology」のカテゴリーに入る人。
アルバム『お伽草子』以降はまったくと言っていいほど聴いていない。
と言うか、あれほど聴いていたあの頃のアルバムも、もう何十年も聴いていない。

しかし今でも好きなミュージシャンであることには間違いない。
肺がんを患ってからというもの、完全復帰とまではいかないようだが、いつまで元気でいてほしいと願うのだ。
それこそ「おかげさまで僕は元気なのです」なのです。

と、ここまで書いて気づいた。
どうやらツアーをやるらしい。
ご本人曰く、「これが最後のツアー」なんだそうだ。

うーむ。
見てみたいようなそうでないような・・・