2019/03/20

R・I・P Yuya Uchida

ロック歌手で映画俳優としても活躍した内田裕也(うちだ・ゆうや、本名内田雄也)さんが17日5時33分、肺炎のため、東京都内の病院で死去した。79歳。兵庫県西宮市出身。17年11月に脱水症状で倒れてから車椅子生活を余儀なくされていた。18年9月15日に妻で女優の樹木希林さん(享年75)に先立たれ、喪失感が消えない中での死となった。都知事選出馬など常に話題を提供し続けたロック界のカリスマだった。葬儀は近親者のみの家族葬で執り行い、後日お別れ会を執り行う。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6317390

樹木希林が亡くなって半年。
ロックンローラー内田裕也が逝った。

僕が彼を知ったのは1970年の「日本語ロック論争」だった。
論争と言っても、当時人気のあった「はっぴいえんど」に内田裕也がイチャモンつけたようなもので、実のところ論争でもなんでもなかったような記憶がある。

その後、1971年に"フラワー・トラベリン・バンド(Flower Travellin' Band)"にハマった僕は、プロデューサーが内田裕也というのを後から知ることになる。

"内田裕也と1815 R&R Band"なんてバンドも聴いたが、さほど興味を惹く対象ではなく、僕にとっての内田裕也はロックンローラーやミュージシャンというよりも、偉大なプロデューサー、或いはコンサートプロモーターという認識だ。

マスコミでは奇行ばかりが報道され、その音楽的な事は殆ど語られることのない彼だが、実は日本のロック界に彼が与えた影響は計り知れない。
先にあげたプロデューサーとしての功績も多いが、やはり何と言っても日本に大規模な野外コンサートを根付かせた事は彼の経歴の中で最も素晴らしいことだろうと思う。

Flower Travellin' Band - Make Up (1973)

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