遅ればせながら、あけましておめでとうございます。
皆様の2024年が明るく実り多き一年になりますように。
↑2023年大晦日の夕日
↑2024年元日の初日の出
先日から書いているように現在絶賛入院中なのである。65年生きてきて初めての入院生活。すっかり回復した身体を持て余し、日曜日にはシャワーが使えない事をさっき知り、やたらいいお天気の窓の外を眺めては長い溜息をついている。
さて、初めての入院ということは必然的に入院食も初めての経験。誰に聞いても美味くはないと聞いていたので、入院と決まってからというもの内心では戦々恐々としていたのだ。
ところがである。いざ出された食事を食べてみると決して美味くはない。が、かと言ってさほど不味い訳でもない。いや、これは全く意外だった。
しかしやたら登場する酢の物にまったく塩味が効いていないのには閉口している。
さて、入院したその日の夕食。
ピカタだ!ケチャップのジャンクな味が懐かしい!里芋の炊いたのも、もはやご馳走の部類。
と、まぁこんな風に地味に薄味な毎食を頂いているのだが、これはこれで食材本来の滋味を感じることが出来てなかなか素敵な経験なんだろうなと思う。
1食460円の予算で栄養士さんも本当に良く頑張っている、なんせ毎日3食の献立を365日考えないといけないのだ。
が、何度も言う!塩味の効いてない酢の物は不味い!(笑)
♪小さな〜窓から〜見〜える〜、なんて曲があったようななかったような。
今日は入院9日目。もうひとりでどこへでも歩いていけるのに、主治医の許可が出ないので未だ付き添いがいないとトイレにも行けない状況が続いている。
となれば、今の僕が存在していい世界はこの総合病院5階の507号室、4人部屋の角の窓際のベッドの上だけ。
なんとこんな小さな世界にもう9日間も暮らしているのだ。
元気で飛び回っていた頃には想像すらできない世界だが、いざ自分がその立場になってみると、それはそれで案外悪くないような気もする。いや、それは痛みや身体の辛さがないからそう言えるだけであって、実際の闘病はきっともっと大変なのだろう。
そんな方たちには本当に申し訳ないと思うのだが、僕の入院は酒を抜く儀式のようなものなのかもしれない。
と、そんな入院中にチンペイさん(谷村新司)の訃報が飛び込んできた。
そう言えば、夏休み終盤恒例「24時間テレビ」のエンディングテーマを見るともなくぼんやり見てる時に、近いうちにこんな時が訪れるのではないだろうかという漠然とした予感を覚えた。加山雄三がチンペイさんの手紙を読んだ時、それは予感から確信に変わった。「彼はもう帰ってこないのだろうな」と。
1972年の夏、僕と同級生のHは倉敷のダイエーの屋上にいた。その年の春にふたりでフォークデュオを組み、練習はそこそこ続け、同級生の前では何度も演奏してはいたのだが、多くの知らない人たちの前で演るのは本当に初めての経験だったのだ。そんな僕らは白石島名産の御影石よりも固くなっていた。何か喋れば胃が口から飛び出してくるんじゃないかと思うほどの緊張感だったのだ。
そんな僕らに声をかけてくれた小汚いジーパン上下のおっさん(当時の僕らの目からみれば)がいた。
「自分ら中学生か?ええなぁ若うて。俺等おっさんやんなぁ笑」
それがチンペイさんだったのだ。そう、その日はまだ売れていないアリスの屋上ライブ、僕らはその前座という訳。
もう何を歌ってどうやって終わったのかも良く覚えていないが、あの真夏の夕方、うだるような暑さの中でアリスの演奏が響き『明日への讃歌』でのブレイクで一瞬だけ静寂が訪れ、僕は鳥肌が立ちまくっていたのを今も良く覚えている。
日本中がコロナに翻弄されたこの3年間。
かくいう僕も去年の9月に感染してしまう症状自体は大したことなく、これホントに感染してんの?みたいな感覚で自宅待機の無為な時間を過ごしていたのを覚えている。
そのコロナ自体は上記のように何てことなく過ぎ去り、なぜか保険会社の入院給付金が入院もしていないのに給付され「ラッキー♡」と、逆に喜んでもいたのだが、問題はその一ヶ月後だった。
何の前触れもない突然の下痢。汚い話で申し訳ないが、水溶性の便がピューッといくらでも出る感じ。もはやそれは自分の意志ではどうしようもない。
行きつけの開業医に電話して状況を説明すると「そりゃコロナの後遺症じゃないか?」とのこと。これから行きたいとの旨を告げると、やつは「そんな状況で来られても困る。うちじゃ下痢止めを処方するくらいしかできないんだから、市販の下痢止め薬でも買って寝とけ!後遺症の解明はまだできとらん!ww」とかぬかしやがる。
持つべきものは薄情な掛かり付け医だ。
それでもそのハードな下痢もほぼ一日で収まる。が、ソフトな下痢がその後も続く。そしてそのうち何だか両足が動かし辛くなってきた。太ももにまるで力が入らず、車に乗り込むのもまずシートに座り、手で自分の足を持ちあげてよいしょと車内に押し込む。下手すりゃブレーキペダルやクラッチペダルに足を乗せるのも自分の手の介助が必要だった←危ない
こりゃ流石に普通じゃない医者行かなきゃと思いながらも、仕事の忙しさに感けて日延べをしているうちに何だかそのうちに治ってしまった。
人間というものは誠に勝手なもので、治ってしまえば何てことはない、大変だったことも過ぎ去れば笑い話にしか過ぎない。と、そんな風に確かに僕は笑いながら一年間を過ごしてきた。
いや、正直に言えば若干の違和感が残っていたのは確かだ。駅の階段を駆け上がればすぐ筋肉痛になる。大好きな散歩を少し多めにすれば足首に鈍痛が走るようになる。何よりも太ももの筋肉の感覚が麻痺したようになるのは何とも不気味な感覚だった。
それでも日常生活にはさほど響くことなく日々の暮らしを細々と営んでいたのだが、今年の9月の末の事でございます。はい、やってまいりましたよあのスーパー下痢が!
いや、ヤツには以前ほどのパワーはありません。しかも今回はコロナに感染した訳でもありません。身に覚えがあるといえば仕事で一週間前に酷い風邪の症状の人と接触したことぐらい。
かと言って、決して侮れる状況ではありません。脂汗を流しながら仕事をこなし、目の先でトイレを追いながら仕事をしますw
さて、その急性期を乗り越え、前回と同じようなソフト系の下痢(そんなのあるのか)が訪れます。それはもう急性期に比べれば天国のようなもので・・・なんて事を思っていたらやってきましたよ、筋力の低下。
とは言え、2回めの今回。ええ、舐めてましたわ。
あちこち痛いのですが、以前と同じようにそのうち治るだろうとやり過ごしていたあの日の朝!
朝起きると足腰が立ちません!這うようにトイレに・・・行こうにも四肢が麻痺しているので這えもしません。人生最大のピンチです!(`・ω・´)ゞ
まぁそのまま救急車で近所の総合病院に運ばれ即入院、というオチなんですけどね。
病名は「低カリウム血症」
要は飲み過ぎですな・・・(´・ω・`)
いや、それでも血中のカリウム値は心筋梗塞でいつ突然死してもおかしくないレベル。笑い事じゃなかったというのが本当のところです。
にしても初めての入院。見るもの聞くもの触るものその全てが珍しく、いや触られるのも・・・( ・∀・) \(`-´メ)バシッ
家の奥の厠や、陽の光が届かない奥座敷などの闇を礼賛している「陰翳礼賛」
文豪、谷崎潤一郎が昭和8年に上梓した随筆だ。ボビー・コールドウェル (Bobby Cordwell 1951.8.15~2023.3.13)
この名を聞けば、あの変に高揚した、そのくせどこか退廃的にも感じていた1980年代を思い出す。
鉄板焼のお店で食事を終え、外に出てみると雨が降っている。
そう、季節はまさに今頃だったと思う。
雨に濡れた歩道に街の明かりが溶け出して、それはまるでぼんやりとした背徳感への誘いのようだ。
傘を持たずに出かけた僕らは暫し思案に暮れる。
お目当てのBarまでは少し距離があるが、タクシーを呼ぶほどでもない。
いや、そもそもあの時代、流しのタクシーに乗り込むこと自体が困難だったのだ。
意を決した僕は歩き始める。
と、突然隣を歩く彼女が彼女の着ていたトレンチコートを僕の頭に被せ、そして彼女自身もそのコートの下に潜り込んできた。
13歳の初夏に初めて経験した相合い傘よりも、もっと濃密で甘い空間が存在することを僕は初めて知った。
そしてそのお目当てのBarに着くと彼女が呟く。
「もう少し遠くても良かったね」
まるでドラマのようなワンシーン。
Barのドアを開けると、静かにこの曲が流れていた。
彼女が濡れたコートを壁のコート掛けに掛ける後ろ姿を、僕は今も鮮明に覚えている。
あの甘く切ない、僅か数分の空間と共に。
合掌。