2025/07/27

Alone again

 

ここ数ヶ月、毎朝1時間強歩いている。

歳を重ねると朝早く目覚めるようになるというのは全くもってその通りであるのだが、午前4時に目覚める僕は、若い頃と違いこの時間からまさか酒を飲むわけにもいかず、手持ち無沙汰に時を過ごしていた。

が、ある日ふと外に出てみようと思い立ち、玄関のドアを開けてみた。

と、そこには酒に爛れて朝帰りをしていた頃の夜明け前とは違う、「確かな朝」があるではないか。




写真は今朝の日の出の写真。



毎朝同じコースを歩いていると、同じようにウォーキングやランニングをしている人たちと必然的に顔見知りになってゆく。

それは「健康」というひとつのアイコンに縋り付く、かりそめの価値観を共有する者たちの社交場だ。

皆それぞれの人生の重みを背負って黙々と歩み走る。

これは苦行なのか趣味なのか娯楽なのか

仏陀は「人生はひとり荒野を歩くようなもの」と説いた。

とすれば、毎朝会うあの人達は、まさしくその教えを具現している訳だ。


◇      ◇       ◇       ◇       ◇


一昨日の夕刻、ひとりの男が旅立った。

僕の人生の中の、音楽の部分で少しだけ関わった人。

その関わった時間はほんの短い時間だったけれど、多分最も濃い時間を過ごした人。


人生は出会いと別れの繰り返し。


この歳になると、そんな事は重々承知している。

それでも寂寥感は拭えない。

やり切れない想いはどこへ向かう。














2025/01/12

健康のありがたさ

 なんと、前回のブログから1年が経ってたのね(笑)



ということで、皆様あけましておめでとうございます。

ええ、松の内も終わってしまいましたが、まぁそこはそれ。

皆様の新しい一年が良き一年でありますように。


さて、実は私年末から体調を崩しておりまして。


12月の15日、息子が突然の嘔吐下痢、そして発熱。続く連れ合いもその夜から激しい嘔吐下痢と発熱。

幸い私はなんの症状もなく、穏やかに日常を過ごしていたのですが、同月21日の仕事終わりから突然の発熱が始まります。食欲も何もなく、取り敢えずベッドに潜り込むことにしました。

その日から、仕事だけは何とか熟しておりましたが、帰宅と同時にベッドに潜り込む毎日。食欲も全く無く、一日2食のバナナとりんごの牛乳がけで生き延びていました。

仕事納めの30日になっても状況は変わらず、それどころか新しい年がやってきても寝たきりの状況が続きます。熱も40度を記録し、アップルウォッチが測っている脈拍数も毎分130を叩き出しています。血中酸素濃度は90を切ることも・・・・

実は発病2日後の12月23日にかかりつけの個人開業医を受診したのですが、インフル、コロナとも陰性。風邪でしょうということでカロナールと葛根湯が出されましたが、そんなもんは全く効きやしません。

雑煮もお節もお酒も、恒例の漫才・落語三昧もお正月らしいことは何ひとつせず、ただひたすら寝るお正月。悪寒と咳と息苦しさと戦いながらベッドの中で何度も寝返りを繰り返します。

そして三が日が過ぎた正月4日、ようやく何か食べようと言う気が起こってきました。取り敢えず連れ合いにおかゆを作ってもらい、恐る恐る胃に入れます。

「美味い!( ・∀・)」

バナナとりんごと蜜柑しか摂取していなかった身体に、久々の炭水化物が染み込むようです。そしてそこからは食欲が急速に戻ってきます。


仕事始めの6日、なんとか仕事を終え少し大きな総合病院に向かいました。受付を済まし、微熱がある私は別室で待たされ、そしてレントゲン。続いて採血、診察と終え、呼び出された末に告げられたのが「肺炎」。

ええ、2日前から食欲が戻ってなければ入院必須の血液検査の数値でありました。


そんなこんなで処方された2種の抗生物質の効果は凄まじく、このブログを書いている12日はすっかり元の健康体に戻っております。いえ、正確に言うと若干の咳が残っていますがそれもあと数日の事でしょう。


一昨年の低カリウム血症による入院と言い今回の肺炎騒動と言い、私の身体はもう決して若くはないのだという事を改めて思い知らされる事案が続いています。悲しいけれどこれが現実なのです。











2024/01/06

A happy new year

 遅ればせながら、あけましておめでとうございます。

皆様の2024年が明るく実り多き一年になりますように。












↑2023年大晦日の夕日















↑2024年元日の初日の出





2023/10/23

Geriatric ward

何てことだ。

自由に歩けるようになってからというもの、病院内を用もないのにウロウロしているのだが、廊下で行き交う患者さん、ラウンジで寛いでいる患者さん、開け放された病室の扉の向こうに見え隠れするベッドに寝転ぶ患者さん。

その全てが見事にお年寄りばかりなのである。

昨日まで僕の隣のベッドにいたおじいさんは帰っても一人暮らしなんだそうな。
僕が心配しても仕方のないことなのだが、思わず彼の今日からの暮らしに思いを馳せてしまう。

これが今の日本社会の縮図なのか。
そして、この病院・・・いや、日本中の病院が恐らく同じような状態であろうと思われるそこに暮らすお年寄り達の行く末はどこに向かうのか。

暗澹たる思いなのだ。























日中、特に午前中は採血やら点滴やらでなかなか忙しい。
もっとゆっくり出来るのかと思ったのだが、どうやらそんな事もないようだ。

昼食が終わり、午後の回診やら入浴やら一連の行事が終わると病棟にふと静かな時間が訪れる。
廊下に人影はなく、病棟全体がシンと静まり返る。もうすぐ訪れる長い長い夜を恐れ、誰もが首を竦めて閉じこもっているかのようだ。
廊下には一日の終りを告げる秋の西日が長く伸びるように差し込んでいる。

そんな西日を浴びてみた。









2023/10/22

Well, well ・・・delicious

 先日から書いているように現在絶賛入院中なのである。65年生きてきて初めての入院生活。すっかり回復した身体を持て余し、日曜日にはシャワーが使えない事をさっき知り、やたらいいお天気の窓の外を眺めては長い溜息をついている。

さて、初めての入院ということは必然的に入院食も初めての経験。誰に聞いても美味くはないと聞いていたので、入院と決まってからというもの内心では戦々恐々としていたのだ。

ところがである。いざ出された食事を食べてみると決して美味くはない。が、かと言ってさほど不味い訳でもない。いや、これは全く意外だった。

しかしやたら登場する酢の物にまったく塩味が効いていないのには閉口している。




さて、入院したその日の夕食。

















酒で身体を壊して入院しているのに、焼き鳥と串のおでんwww



3日目だかの昼食。

 














カレーだ!カレー!
が、残念なことに冷たい上にルーが全く足りなかった。



いつかの朝食。




















もはや卯の花と味の薄い味噌汁だけで丼ご飯を頂けるのである。
一汁一菜をこの歳で経験するとは思いもしなかった。




一昨日の夕食。














ピカタだ!ケチャップのジャンクな味が懐かしい!里芋の炊いたのも、もはやご馳走の部類。



と、まぁこんな風に地味に薄味な毎食を頂いているのだが、これはこれで食材本来の滋味を感じることが出来てなかなか素敵な経験なんだろうなと思う。

1食460円の予算で栄養士さんも本当に良く頑張っている、なんせ毎日3食の献立を365日考えないといけないのだ。

が、何度も言う!塩味の効いてない酢の物は不味い!(笑)

2023/10/20

It's a small world

 ♪小さな〜窓から〜見〜える〜、なんて曲があったようななかったような。


今日は入院9日目。もうひとりでどこへでも歩いていけるのに、主治医の許可が出ないので未だ付き添いがいないとトイレにも行けない状況が続いている。

となれば、今の僕が存在していい世界はこの総合病院5階の507号室、4人部屋の角の窓際のベッドの上だけ。

なんとこんな小さな世界にもう9日間も暮らしているのだ。


元気で飛び回っていた頃には想像すらできない世界だが、いざ自分がその立場になってみると、それはそれで案外悪くないような気もする。いや、それは痛みや身体の辛さがないからそう言えるだけであって、実際の闘病はきっともっと大変なのだろう。

そんな方たちには本当に申し訳ないと思うのだが、僕の入院は酒を抜く儀式のようなものなのかもしれない。













と、そんな入院中にチンペイさん(谷村新司)の訃報が飛び込んできた。

そう言えば、夏休み終盤恒例「24時間テレビ」のエンディングテーマを見るともなくぼんやり見てる時に、近いうちにこんな時が訪れるのではないだろうかという漠然とした予感を覚えた。加山雄三がチンペイさんの手紙を読んだ時、それは予感から確信に変わった。「彼はもう帰ってこないのだろうな」と。


1972年の夏、僕と同級生のHは倉敷のダイエーの屋上にいた。その年の春にふたりでフォークデュオを組み、練習はそこそこ続け、同級生の前では何度も演奏してはいたのだが、多くの知らない人たちの前で演るのは本当に初めての経験だったのだ。そんな僕らは白石島名産の御影石よりも固くなっていた。何か喋れば胃が口から飛び出してくるんじゃないかと思うほどの緊張感だったのだ。

そんな僕らに声をかけてくれた小汚いジーパン上下のおっさん(当時の僕らの目からみれば)がいた。

「自分ら中学生か?ええなぁ若うて。俺等おっさんやんなぁ笑」

それがチンペイさんだったのだ。そう、その日はまだ売れていないアリスの屋上ライブ、僕らはその前座という訳。

もう何を歌ってどうやって終わったのかも良く覚えていないが、あの真夏の夕方、うだるような暑さの中でアリスの演奏が響き『明日への讃歌』でのブレイクで一瞬だけ静寂が訪れ、僕は鳥肌が立ちまくっていたのを今も良く覚えている。




2023/10/17

First hospitalization

 日本中がコロナに翻弄されたこの3年間。

かくいう僕も去年の9月に感染してしまう症状自体は大したことなく、これホントに感染してんの?みたいな感覚で自宅待機の無為な時間を過ごしていたのを覚えている。


そのコロナ自体は上記のように何てことなく過ぎ去り、なぜか保険会社の入院給付金が入院もしていないのに給付され「ラッキー♡」と、逆に喜んでもいたのだが、問題はその一ヶ月後だった。


何の前触れもない突然の下痢。汚い話で申し訳ないが、水溶性の便がピューッといくらでも出る感じ。もはやそれは自分の意志ではどうしようもない。


行きつけの開業医に電話して状況を説明すると「そりゃコロナの後遺症じゃないか?」とのこと。これから行きたいとの旨を告げると、やつは「そんな状況で来られても困る。うちじゃ下痢止めを処方するくらいしかできないんだから、市販の下痢止め薬でも買って寝とけ!後遺症の解明はまだできとらん!ww」とかぬかしやがる。

持つべきものは薄情な掛かり付け医だ。

それでもそのハードな下痢もほぼ一日で収まる。が、ソフトな下痢がその後も続く。そしてそのうち何だか両足が動かし辛くなってきた。太ももにまるで力が入らず、車に乗り込むのもまずシートに座り、手で自分の足を持ちあげてよいしょと車内に押し込む。下手すりゃブレーキペダルやクラッチペダルに足を乗せるのも自分の手の介助が必要だった←危ない

こりゃ流石に普通じゃない医者行かなきゃと思いながらも、仕事の忙しさに感けて日延べをしているうちに何だかそのうちに治ってしまった。

人間というものは誠に勝手なもので、治ってしまえば何てことはない、大変だったことも過ぎ去れば笑い話にしか過ぎない。と、そんな風に確かに僕は笑いながら一年間を過ごしてきた。

いや、正直に言えば若干の違和感が残っていたのは確かだ。駅の階段を駆け上がればすぐ筋肉痛になる。大好きな散歩を少し多めにすれば足首に鈍痛が走るようになる。何よりも太ももの筋肉の感覚が麻痺したようになるのは何とも不気味な感覚だった。

それでも日常生活にはさほど響くことなく日々の暮らしを細々と営んでいたのだが、今年の9月の末の事でございます。はい、やってまいりましたよあのスーパー下痢が!

いや、ヤツには以前ほどのパワーはありません。しかも今回はコロナに感染した訳でもありません。身に覚えがあるといえば仕事で一週間前に酷い風邪の症状の人と接触したことぐらい。

かと言って、決して侮れる状況ではありません。脂汗を流しながら仕事をこなし、目の先でトイレを追いながら仕事をしますw

さて、その急性期を乗り越え、前回と同じようなソフト系の下痢(そんなのあるのか)が訪れます。それはもう急性期に比べれば天国のようなもので・・・なんて事を思っていたらやってきましたよ、筋力の低下。

とは言え、2回めの今回。ええ、舐めてましたわ。

あちこち痛いのですが、以前と同じようにそのうち治るだろうとやり過ごしていたあの日の朝!

朝起きると足腰が立ちません!這うようにトイレに・・・行こうにも四肢が麻痺しているので這えもしません。人生最大のピンチです!(`・ω・´)ゞ

まぁそのまま救急車で近所の総合病院に運ばれ即入院、というオチなんですけどね。


病名は「低カリウム血症」


要は飲み過ぎですな・・・(´・ω・`)


いや、それでも血中のカリウム値は心筋梗塞でいつ突然死してもおかしくないレベル。笑い事じゃなかったというのが本当のところです。


にしても初めての入院。見るもの聞くもの触るものその全てが珍しく、いや触られるのも・・・( ・∀・) \(`-´メ)バシッ













2023/05/31

Darkness

 家の奥の厠や、陽の光が届かない奥座敷などの闇を礼賛している「陰翳礼賛」

文豪、谷崎潤一郎が昭和8年に上梓した随筆だ。
それによると、西洋では闇を消す事に執着してきたが、日本では寧ろ闇を積極的に肯定することによって文化を育んできた、という。
が、皮肉な事に、この随筆が発表された年には、日本は世界で一番明るい国になったと発表されている。

僕が子供の頃の1950~60年代前半には、まだまだ街や家の中に闇が多く存在していた。
そして、その闇を消し去る事が豊かさの象徴でもあったのだ。
トイレは僅か20Wほどの裸電球であったし、街灯のない暗い路地には何か得体の知れないものが潜んでいるような気がしていたものだ。
もちろん商店などは早くに店を閉めるし、各家庭もそんなに遅くまで起きてはいないので、町が闇に包まれる時間は早く訪れる。
僕は比較的賑やかな所に住んでいたので、一晩中点いている街灯も数多くあったが、少し田舎に行けば、そこは鼻を抓まれても分からない程の漆黒の闇であった。

闇は、星が良く見えるとか、ホタルが綺麗に見えるとかの直接的なメリットの他に、感覚が深くなるという事がある。
真っ暗闇の部屋で布団にくるまっていると、五感が研ぎ澄まされる気がするのは僕だけではないはずだ。いるはずのない物の怪や幽霊の気配に身を震わせたりもする。
それは、現代人が久しく忘れている感覚なのであろう。

原発問題もあり電力不足が話題に登る事も多い昨今だが、この際「闇」を楽しんでみるのもいいのかも知れない。

ついでに少子化対策になるかも知れないしね。(笑)

2023/03/28

What You Won't Do for Love

 ボビー・コールドウェル (Bobby Cordwell 1951.8.15~2023.3.13)


この名を聞けば、あの変に高揚した、そのくせどこか退廃的にも感じていた1980年代を思い出す。












鉄板焼のお店で食事を終え、外に出てみると雨が降っている。

そう、季節はまさに今頃だったと思う。

雨に濡れた歩道に街の明かりが溶け出して、それはまるでぼんやりとした背徳感への誘いのようだ。

傘を持たずに出かけた僕らは暫し思案に暮れる。

お目当てのBarまでは少し距離があるが、タクシーを呼ぶほどでもない。

いや、そもそもあの時代、流しのタクシーに乗り込むこと自体が困難だったのだ。


意を決した僕は歩き始める。

と、突然隣を歩く彼女が彼女の着ていたトレンチコートを僕の頭に被せ、そして彼女自身もそのコートの下に潜り込んできた。

13歳の初夏に初めて経験した相合い傘よりも、もっと濃密で甘い空間が存在することを僕は初めて知った。


そしてそのお目当てのBarに着くと彼女が呟く。


「もう少し遠くても良かったね」


まるでドラマのようなワンシーン。



Barのドアを開けると、静かにこの曲が流れていた。

彼女が濡れたコートを壁のコート掛けに掛ける後ろ姿を、僕は今も鮮明に覚えている。

あの甘く切ない、僅か数分の空間と共に。




合掌。










2023/02/19

ChatGPT

 今話題のChatGPTにアクセス。

英文サイトだがメールアドレスと携帯番号でログイン出来る。

で、早速AIさんと遊んでみた。


まぁ便利なもんであるわな。


で、どれだけ人間に近いのか、彼か彼女か知らないけどヤツに感性はあるのか?

ということで「愛の詩を書いて」とリクエスト。


で、出来上がった詩がこれ。



あなたと出会ってから

この胸に芽生えた

愛しい気持ちを

言葉にしたくて

あなたが近くにいるだけで

心が躍り、飛び跳ねる

この気持ちを抑えられずに

あなたに伝えたくて

あなたへの愛が

日々深まってゆく

何もかもがあなた色に染まり

それが私の喜び

いつまでもずっと

この愛を胸に抱いて

あなたと共に歩みたいと思う

愛するあなたへ

この詩を贈ります


うーむ・・・

ヤツに感性はないなw





2023/02/11

Raindrops Keep Fallin' on My Head

 バート・バカラック(Burt Bacharach)が28日、ロサンゼルスの自宅で自然死のため死去。彼の広報担当者がAP通信に認めた。享年94

バカラックは1928年、米ミズーリ州カンザスシティ生まれ。作詞家ハル・デヴィッドとのコンビで知られ、60年代前半から80年代にわたり、ジーン・ピットニー、ディオンヌ・ワーウィック、カーペンターズなどに多数にヒット曲を提供。「小さな願い」「雨にぬれても」「サン・ホセへの道」などの代表曲で知られ、バカラック・サウンドと呼ばれる独特のスタイルで、ポピュラー音楽界の頂点に立つ作曲家としての地位を築き上げた。全米で73曲、全英で52曲のトップ40ヒットを記録。英ガーディアン紙は「イージーリスニングをハイアートに変えた作曲者兼パフォーマー」と彼の功績を形容している。【Web版Rolling Stoneより】









まずはまだご存命だった事に驚いた。
と言うか、今も折りに触れ聴くことの多い曲たち。
それは僕が生きてきた道にいつも寄り添っていた。
なんだか当たり前のように彼の書いた曲が身近にあった。

イージーリスニング好きを公言して憚らない僕ではあるのだが、それはバート・バカラックの影響が多大に関与している。

人生は長いようで短い。
短いようで長い。

少年の頃、自分の部屋の窓から雨の風景を眺めながらこの曲を聴いた。
ほんの小さなため息と共に。

合掌。




2022/11/12

Feel Like Makin' Love

 ずっと好きだったあの娘。

或いは今日まで何も意識してなかった女性の、何気ない仕草にふとした色気を感じた時。



なぜか波長が突然合い、急激に盛り上がるってあるじゃないですか、一気に燃え上がるそんな瞬間。


僕の場合はたいていは酒飲んでる時ですが( ・∀・) \(`-´メ)バシッ





気がつけば唇まであと5センチ。



どきどき。

ドキドキ。




さぁこの距離をどう詰めよう?


試しにゆっくりと1センチだけ近づいて見ます。

彼女の唇は動かない。

こ、これはOKなのか?


そっと瞳を閉じるのか、或いは眉間に深い皺を寄せるのか。

いざの時のエクスキューズも用意しながら、恐る恐るもう1センチ試してみようか。





「Feel Like Makin' Love」






1974年にRoberta Flackが歌ったラヴ・ソング。



二つの片想いが一つの両想いに変わる瞬間を歌うものなのかな?と解釈してます。


もっともR&B系の歌詞の解釈は一筋縄にはいきません。


George Bensonのヴァージョンもあって、こちらは結構アップ・テンポです。

もうなんかいけいけどんどん的で、既にチェック・インしてるな、シャワーを浴びるのももどかしいんじゃないかなどと思わせる、とてもエッチな雰囲気がぷんぷん(笑)


2022/08/30

R.I.P Olivier

 

オリビア・ニュートン・ジョンが亡くなってたんだね。全く知らなかった。


オリビアといえば「そよ風の誘惑 (Have You Never Been Mellow)」かな、僕的には。

1975年、僕が熱い恋をしていた真っ最中にラジオから良く流れていた。

ただ、尖っていた当時の僕にはそんな甘ったるい曲聴けるかい~!という姿勢は大切。

実は大好きなカーペンターズと同じだね(笑)


その後、78年の映画「Grease」での女子高生役には正直驚いた。

いや、そこから約3年後の81年、あの名PVの「Physical」にはもっと驚いた。


多分美魔女のハシリだな。




って、ここまで書いてて、いかに思い入れがないかよく分かるよね(笑)





2022/07/23

鰻重

 

鰻重〜

国産なのでこんな小さなサイズでも2,800円!

皮はパリッと身はふんわりと

いや、美味しゅうございました。

2022/03/23

GODZILLA

年度末のこの忙しい折に、何をトチ狂ったのか1954年に制作・公開された初代ゴジラと、2016年のシン・ゴジラを観比べてみた。

1958年生まれの僕にとって、もちろん初代ゴジラは追体験だ。





















確か6歳の頃の年末だったと思う。
白黒フィルムの中で吠え、暴れるゴジラはそれはそれは怖い代物だった。

戦争の傷跡が未だ癒えていない1954年。
この映画にもその戦争の暗い色が色濃く投影されている。
東京湾にゴジラが上陸し、人々が逃げ惑う姿は太平洋戦争末期の日本各地での空襲そのものの姿であっただろうし、ゴジラによって母親を亡くした幼い少女の慟哭はあの戦争の時代の象徴でもあったのだろう。

そして何よりも核に対する警鐘がこの初代ゴジラの大きな特徴だ。
当時社会問題となっていたビキニ暗礁の核実験に着想を得て制作された初代ゴジラは「核の落し子」「人間が生み出した恐怖の象徴」として描かれていた。



2019/12/15

Yes it's me

14歳の秋、この曲が僕の人生観を一変させた。





他の誰でもない。
僕は僕自身だ。

2019/12/12

Alexa

我が家にAlexaがやってきた。

はい、Amazonのサイバーマンデーに見事に釣られたのでございます。






「Alexa、今日のニュース聞かせて」
「Alexa、クリスマスミュージックかけて」
「Alexa、明日の天気は?」

AppleのSiriと同じく、彼女は律儀にリクエストに応えてくれる。
時に意味不明のアクションを起こすのはご愛嬌か。


でね、85歳のうちのばーちゃんに使い方を教えたの。
ばーちゃんジャズ好きだから、「Alexa、ルイ・アームストロングかけて」と声をかけたら聴かせてくれるよと教えたの。

で、いよいよばーちゃんAlexa初体験!








「枯れ草!、ルイ・アームストロングかけて」



2019/12/01

深淵






















「薄化粧」西村望著

僕はこの小説が好きでね。

人生の深淵を垣間見ることできる。

2019/11/10

給食

子供の頃の給食。

どちらかと言えば、僕は苦手な方だった。
太平洋戦争前後の食糧難の時代を過ごされた方から言えば、何を贅沢を言っているんだ!とお叱りを受けるだろう。

が、僕らの育った世代。
少なくとも飢えていたという記憶はない。
かと言って食卓に並ぶ素朴なおかずに文句を言える年代でもない。

その反動だろうか。
今の僕は食に対してかなりわがままだ。
食べたいものを食べたいときに食べる。
ある意味迷惑至極な人なのだ。


話が逸れた。
給食に話を戻そう。

いつだったかな。
仕事で広島県の何とかという田舎町を車で通過していた。
そこでふと目に止まった廃校。
普通、廃校というやつはひと目で廃校と分かる雰囲気を醸し出している。
嘗て子どもたちの歓声が響いていたであろうその校庭と校舎は、「役目を終えたもの」としてその存在感を静かに誇示しているようなものなのだが、ここの廃校は少し違っていた。

「給食やってます!」
と書いた幟が校門のはためいているのだ。

好奇心の強い慈恩君。
この機会を逃すはずはない。

校庭に車を駐め、正面玄関を入るとこんな風景が出迎えてくれた。





















1960年代を下落合で過ごした僕の覚えている学校とは少し違っている。
あの時代、新宿は爆発的な人口増加と東京オリンピックに伴う再開発で、僕の通う小学校も木造校舎が次々に取り壊され、新たにコンクリート作りの校舎がさほど広くもない校庭を侵食し始めていた。
4,000人近い児童が通う小学校は情緒というものには程遠いものだったのだ。

こんな山の学校に通ってみたかったとふと思った。
濃密な人間関係が構築されていたであろう小さな学校。
親も子どもたちも誰もが顔なじみの極小のCommunity。

・・・息苦しいような気もするな(笑)



さて、給食である。

給食セット、税込み1,080円(増税前)




















カレー、鯨の竜田揚げ、揚げパン、サラダ、冷凍みかん、脱脂粉乳というラインナップ。
まぁ王道だな。
と言うかどれも美味すぎだった。
懐かしいというよりも美味いの方が先に立ってしまう。
鬼門の脱脂粉乳も、あの少し茶色がかった膜の張っていた最強に不味いやつではなく、普通にスキムミルクだった。

例えば、奇をてらってあの時代の給食にあったように、春雨の酢の物に食パンという訳の分からない組み合わせをメニューに加えたらどうだろう。
今だったら、その酢の物で一杯やるのだろうか。
で、食パンはお持ち帰りにしてバックの底でガビガビに(笑)


それでも懐かしい味に満足した僕の目にふと止まった古い足踏みオルガン。




















Deep Purpleの"StrangeWoman"のイントロを片手でなぞってみたのだが
案の定音の出ない鍵盤がある。
F2、B1、C2・・・

それはこの学校に通っていた子どもたちの、まさしく「今」を表しているのかも知れない。
一人欠け、二人欠け、そしていつかは全ての鍵盤は鳴らなくなってしまうのだ。

2019/10/06

The Intern

The Intern(邦題:マイ・インターン)2015年公開 アメリカ映画
監督・脚本・制作:ナンシー・マイヤーズ
主演:ロバート・デ・ニーロ・アン・ハサウェイ

昨夜、地上波でオンエアしていたのを観た。

「プラダの悪魔」は素晴らしい作品だったが、この作品に関してはとても心が暖かくなる映画としか予備知識がなかった。

で、結論から言えば、まさしく心が暖かくなる映画だった(笑)

仕事モノを装いながら、その実は年齢差のある男女の恋愛映画。
とは言ってもそこらに良くある恋愛映画ではない。
ロバート・デ・ニーロとアン・ハサウェイという意外性のあるふたりの共演がなんともいい。

この作品の評判自体はさほど高くはない。
その低評価の大半は「上司が女性で部下が男性という時流に即したテーマを十分に掘り下げることができていない。」というものだ。
それはまぁ確かにそうなのだが、それは仕事がテーマとして観た場合なのだろう。
反して恋愛映画として観ればこれほど上質な映画はない。

映画の後半、二人で観た映画の台詞「君は僕の運命の人」「君は天使からの贈り物」
ロバート・デ・ニーロも泣いていたが、僕も泣いた。

僕もあんな風に歳を重ねたいなと願う。
穏やかで、知的で、すべてを包み込む包容力。
そんな老人に僕もなりたい。