2017/02/20

Crossing does not open

都市には、必ずと言っていいほど「開かずの踏切」がある。
線路の高架化が進み、以前ほどではないにしろ、それでもまだ多く存在しているはずだ。
カンカンカンと警報機が鳴り、遮断機が降り始める。
その頃合いを見極めて渡るのが、その界隈に住む者のある種の習わいとなっている。

子供の頃、僕の住む街にもその手の踏切があった。
朝や夕方の通勤時には今も遮断機が降りたままの時間が多い。
警報機が鳴り、遮断機が降り始めてから渡る人は、なぜか買い物の行き帰りのおばさんが多かった。
強い日差しが残る夏の夕方のイメージが鮮明だ。
彼女たちは誰もが買い物かごを腕に下げ、ワンピースにエプロン、そして素足にサンダルを履いている。
そんな彼女たちが、電車が来る直前の踏切を風のようにすり抜けるタイミングと判断力と脚力は、到底男たちには真似の出来ない事であった。
そんな時、踏切番のおじさんがピーっと笛を吹き、赤旗を振って警告する。
そう、僕が子供の頃の大きい踏切には必ず踏み切り番がいたのである。遮断機はまだ自動ではなく、踏み切り番のおじさんが手動で降ろしていたのだ。

そう言えば大きな交差点で、交通整理をしているお巡りさんを見かける事もあった。
笛を咥え、身体の向きを東西に変えながら、それは見事に四方から来る自動車を捌いていた。

やがて、踏切も交差点も自動化され、踏切番のおじさんも交通整理のお巡りさんも見かける事はなくなっていく。
高度成長化に伴い、何もかもが自動化され始めていたのだ。
そして生活は効率化され、便利になっていく。

が、そこには人と人の触れ合いが自ずと減っていき、情の交換はなくなっていった。



うちの近所のその踏切の番所に、「可愛い子猫もらってください。くわしくはこの踏切のおじさんに聞いてね。」という張り紙が、幼い女の娘の文字で書かれていたのを今でも思い出す。



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