このBlogを立ち上げるにあたり、"Favorite Books"というカテゴリーを作ったのだが、この本をそこにいれていいものか、少々悩むところだ。
だが記憶に残っている小説であるのは確かだ。
『69 Sixty-nine (シクスティナイン)』
村上龍著 1987年
1969年といえば、色々な面でエポックメイキングな年であった。
本来、サブカルチャーであるべきものがメインストリームに登場したかと思えば、荒れ狂っていた政治の季節は、まもなくその終焉を迎えようとしていた。
が、その年の僕はまだ小学5年生である。
時代の空気を敏感に感じ取ってはいても、その意味などは全くもって理解できていなかった。
だから、1969年当時の高校生を描いたこの小説は、僕にとっては追体験なのである。
ベトナム戦争と学生運動に揺れた1969年、基地の町・佐世保の高校に通う、高校三年生の矢崎剣介<あだ名はケン>(妻夫木聡)がいた。彼は退屈とレールに敷かれた人生を何よりも嫌う自分を含めた生徒達を管理の檻に押し込めようとする教師達に反抗するため(本当は同級生のマドンナ、「レディ・ジェーン」こと松井和子(太田莉菜)の気を惹くため)に、親友の「アダマ」こと山田正(安藤政信)らと共に映画・演劇・ロックがごちゃ混ぜになった一大フェスティバルの開催を企画する。人生は楽しんだ者勝ちというモットーの具体的意義もあったが、“レディ・ジェーン”松井和子を主演女優に据えれば自分は主演俳優兼監督として堂々と彼女とイチャつけるという煩悩に塗れた野望もあった。更には彼女の発した「デモやらバリケードやらする人の気持ち、分かるような気がする」という言葉を勝手に脳内妄想で肥大化させ、「デモやらバリケードやらする人大好き」という彼女の理想(本当は違う)を叶えるために、校内の全共闘を言いくるめて学校をバリケード封鎖する事に決めたのだが、話はどんどん膨れ上がり、テレビ局や報道陣まで出動する騒ぎになる。(Wikipedia)
69年当時の高校生が、みんなこんなだったのかは僕は知らない。
しかし記録を見る限り、政治活動を行った高校も少なからずあったようだ。
だが、この小説の主人公は、当時の言葉を借りればあくまでノンポリである。
そこに政治的な背景はなく、あくまで当時流行っていたビッグフェスティバルに影響された事と、彼女にモテたいという不純な動機からの事なのだ。
だからこそ、僕はこの主人公にシンパシーを感じる。
高校生が夢中になる事なんてものは、大抵そんな動機から生まれていると僕は思うのだ。
逆に言うと、それであるが故に面白いもの生まれてくるのではないのだろうか。
対して、全く対照的な若者を描いた、芦原すなおの『青春デンデケデケデケ』
こちらも同じ1960年代の高校生を描いているのだが、その姿勢は全くと言っていいほど違っている。
ベンチャーズに憧れバンドを組んだ高校生たちが主人公だが、その高校生活はどこまでもほろ苦い。
こちらはこちらで、これまた僕は親しみを覚えてしまうのだ。
同じ60年代の高校生を描いたこの2冊。
読み比べてみるのも、これまた一興なのである。
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