2019/01/31

Alone again Naturally

『お願い、これ以上優しくしないで・・・』

これは、僕が18歳の頃に付き合ってた娘に振られた時の言葉(笑)

この世には基本的にはオトコとオンナしかいない。
一部マイノリティな方々もいるのだろうが、そんな方達も心はどっちかのはずだ。

当然、それだけのオトコとオンナのドラマが存在する。

大体において、オトコは過去を大切にする。
オンナは今が全てだ。そして確たる未来を欲しがる。

僕らが大切にしている想い出を、「え?そんな事あったっけ?」の一言で片付けられてしまうのも良くある事例のひとつだろう(笑)

いずれにしても、オトコとオンナは恋に落ち、そして悲喜交々に同じ時を過ごす。

春に出会い、夏に燃え上がり、秋は親密さに酔い、そして降りしきる雪の中で彼女の背中を見送る。

そんな二人のシーズンに必ず聴こえていた曲がある。
その折々に流れていたあの曲。
カーラジオから
ふと立ち止まった街角で
灯を消したあの部屋で・・・


Alone again Naturally  /  Gilbert O'Sullivan

Apple

僕が初めて触れたPCはMacintosh SE/30だった。
1991年だったと記憶している。
メモリは1MB、HDDは20MBという、今では到底信じられない仕様だ。

その後、ColorClassicⅡを使い、最終的には1996年にPowerMacintosh 7600/200へと移行する。
HDDは1.2GB、メモリは最大で512MBまで進化していた。

ちょうどその頃Windows95がリリースされ、世間にPCというアイテムが一気に浸透し始める。
僕は主にDTMがメインだったので、Macを使い続けていたのだが、仕事関係にはじわりとWindowsが浸透し始めた。
そう、職場に一気にOfficeが普及し始めたのだ。
で、仕方なく僕もWindowsを使い始めたのだが、結局は95、98、NT、2000、XP、7、10とずるずるとWindows遍歴を重ねてしまう。

WindowsとMac。
何かと比較される両者ではあるが、そこはやはり一長一短なのだろう。

で、20年ぶりにMacに里帰り。

MicrosoftになくてAppleにあるもの。
それはワクワク感だ。

そして今のAppleにそのワクワク感があるのかと言えば、それは甚だ疑問に感じるのが正直なところ。

が、あのワクワク感を今だに求めている僕が確かにいる。

2019/01/30

Chet Baker

雨降りの月曜日の朝に、彼の歌声を聴くと、必ず仕事に行きたくなくなる。
それほどに彼の声は怠惰に満ちていた。
80年代が、青い空と、海と、サーフボードに満ち満ちていた時、その裏面に彼がいつもいた。
薄暗いショットバーに、彼の歌声とペットの音が良く似合った。
彼の破滅的な生き方が、妙に軽薄で明るすぎる80年代の空気になぜか似合っていた。

1988年5月13日、チェットはオランダアムステルダムのホテルの窓から空へと飛び立つ。

その日以来、僕を仕事に行かせなくなる程のミュージシャンは現れていない。

Heart of Mine

Boz Scaggsを聴くと、あの混沌としていた頃を思い出す。
視界がいいのか悪いのか、夢を見ているのか現実の淵を歩いているのか。
愛しているのか愛されているのか。

そして、あの頃の僕は誰だったのか。

2019/01/27

Internet

自宅のInternet接続環境を電力系からBiglobeのWiMAX+に変えた。

届いたのはなぜかUQモバイルのロゴの入ったルーター。
しかも昨今世間を騒がせているHUAWEI謹製のルーターだ。
これで僕も立派な売国奴である( ・∀・) \(`-´メ)バシッ

 

2019/01/26

My Favorite Books Vol.2

実は古い四コマ漫画が好きなのだ。
それも戦後から、新しくても30年代のモノがいい。

僕の育った家には、結構な量の本が本棚に収まっていた。
純文学から外国文学、はては哲学書の類までそのコレクションは多岐に渡っていたが、その中に4コマ漫画が結構な冊数で混ざっていた。
「サザエさん」は当時でほぼ全巻揃っており、長谷川町子の他の書では「意地悪ばあさん」「エプロンおばさん」「新やじきた道中記」なんてのもあった。

幼稚園か小学校低学年だった僕は、その類の四コマ漫画を良く読んでいた。
いつもおやつを食べながら読んでいたりしたので、こぼれカスやみかんの汁で出来た染みなどを今でも確認出来る(笑)

さて、「サザエさん」を始めとする長谷川町子の一連の漫画は語られる事が多いので、今日は違う漫画のお話。



まずは秋好馨による「轟先生」




当時の僕には知る由もないが、読売新聞に連載されていたらしい。
戦後すぐの風俗が今読むと驚きだ。
闇市や配給、何とヒロポン(今で言う覚醒剤)までが登場する。
基本的に大人向きの漫画なので、僕には理解できないお話や漢字も多かった。
そしてやはり新聞での連載漫画らしく、当時の世相をリアルタイムに反映しているので「ゼンケントクシ」なんて言葉をこの漫画で覚えたものだ。
 


これに比べるとやや理解しやすかったのが「フクちゃん」
作者は横山隆一。
こちらは朝日新聞への連載。
朝刊が「フクちゃん」、夕刊が「サザエさん」という贅沢な時代があったんだね。

この漫画を改めて調べてみると、主人公のフクちゃんは養子ということになっている。
スタート当初は「養子のフクちゃん」というタイトルだったようだ。
今では到底考えられないタイトルだね。

当時の僕は養子と言う言葉も知らないし、ましてや大人の複雑な事情なんてものも興味がなかったので、純粋にフクちゃんの活躍を楽しんでいたように思う。

とは言っても、やはり理解出来ないお話も多かった。
前述の「轟先生」も家族間の関係はかなり複雑だ。
そしてこの「フクちゃん」もまた然り。

そんな辺りに、両親が離婚し叔母に育てられていた僕が何かのシンパシーを感じたのかも知れない、と今になっては思うのだ。



そしてあまり好きではなかったが、そのくせよく読んでいたのが加藤芳郎の著による「まっぴら君」





こちらは毎日新聞での連載。

これはさすがに理解できなかった(笑)
世相をバッサリ切りつけ、風刺の精神も強いので、子供には難しかった。
飲み屋の場面も多いしね。
1ページ目、第1話は何と二重橋事件を取り扱っている。

それでも惹かれて読み耽っていたのはどういう訳なのだろう。
垣間見る大人の世界に憧れていたのだろうか。

他の漫画を読んでいる時はそんな事がないのだが、周りの大人達は、この漫画を読む時だけいい顔をしなかった。
それはやはり男女の関係の妙を書いた内容も多かったからなのだろうと、今となっては思う。

まぁそのおかげでとんでもない耳年増の子どもが出来上がった訳なのだが(笑)







さて、最後にご紹介するのは、僕が一番好んで読んでいた四コマ漫画。
長谷川町子のごく初期の作品、「仲よし手帳」だ。
実家を出て上京、祖父母の家に同居し学校へ通うマツ子さんが主人公。
お友達はタケちゃんとウメちゃんだったと記憶している。
何と1940年に最初の連載を「少女倶楽部」で開始している。
この表紙は復刻版。
当時の絵調はもっと古く、時代感がたっぷりだ。
我が家にある四コマ漫画の中でも一番古かったのではないだろうか。
僕が物心ついた時には、表紙も背表紙も取れて、紙は茶色く変色していた。

内容的には上に書いたように、上京し、転校したマツ子さんが引き起こすドタバタ劇なのだが、その中身は非常に戦前的だ。

旧い日本の道徳観がそこにはある。
親を敬う事を忘れていないし、もちろん教師は尊敬の対象だ。
勉学の傍ら家業を手伝うのは当然の事だし、子守もちゃんとする。


そして特筆すべきは、その言葉と所作の美しさだ。
そこには現代人が忘れ去った日本人の美徳が、至る所に散りばめられている。

そうだ!
一度実家に帰り、本棚の旧い本を漁ってこよう。
そしてあの頃と同じように、あまり上手くない硬いせんべいを齧りながら読み耽ってみたいと願う。




Smartphones

僕はiPhoneXを使っている。
2009年にSoftbankから発売された3GSからのiPhoneユーザーなので、機種変を繰り返しながら、かれこれ10年iPhoneを使い続けているわけだ。





これが当時使っていたiPhone3GS。
なんと!
当時はBlackBerryユーザーでもあったのね。
まだIBM時代のthinkpadも使っていたのか。

そっか、思い出したぞ。
ネットやスケジュール管理は3GSで、通話はBlackBerryでというスタイルだったのだ。

まぁしかし10年は長いようで短いね。
3GSから始まり、4S、5S、SE、7、Xと使ってきた根っからのiPhoneユーザだが、実はわずか半年だけAndroidに浮気をしたことがる。
ASUSの今はもう名前も忘れたモデルだが、決して悪くはなかった。
が、iTunesとiCloudでまんまとAppleの囲い込みにハマっていた僕には到底使い続けることが出来なかったのだ。

しかし考えてみると、このスマホってやつはなんだろうね。
この小さな機材に、いくつの機能が備わっているのだろう。
ざっと考えてみただけでも、通話は言うまでもないが、本、漫画、雑誌、メール、カメラ、スケジュール帳、アドレス帳、アルバム、辞書、ラジオ、機種によってはテレビ、電卓、メジャー、コンパス、時計、ストップウォッチ、時刻表、ビデオカメラ、アラーム、財布、カーナビ等々上げればキリがない。
これだけの機材をカバンに詰めたらいったいどれだけ重くてかさばるのだろうか。
それがわずか200g前後の小さな箱に収まっていうのだから、今更ながらこれはもう驚異という他はない。

スマホ依存が問題になっている昨今。
そりゃこれだけの機能が備わっていればおのずと依存になるだろうってお話。
いや、依存というよりももはや必需品だろう。

依存が悪とするならば、それはスマホではなくSNSの方ではないか。
と僕は考える。

2019/01/22

My Favorite Books Vol.1

『1973年のピンボール(Pinball,1973)』村上春樹 1980年発表 

さようなら、3フリッパーのスペースシップ。さようなら、ジェイズ・バー。双子の姉妹との“僕”の日々。女の温もりに沈む“鼠”の渇き。やがて来る一つの季節の終り―デビュー作『風の歌を聴け』で爽やかに80年代の文学を拓いた旗手が、ほろ苦い青春を描く三部作のうち、大いなる予感に満ちた第二弾(文庫本背表紙より)


今更、村上春樹でもないのだろうが、あの当時、確かに僕に強い影響を与えた作品。

この物語が発表される9ヶ月前、村上春樹は「風の歌を聴け」でデビューしている。
もちろんその作品も読んだのだが、正直言ってその世界観に惹かれはしたが、個人的な感想として、これは物語ではなく、あくまで散文詩なのではないかと思っていた。
そんな思いを持ったまま本作品を手にしたのだが、豈図らんや、こちらはちゃんと物語になっていた。

そのお話は、前作で通っていた大学を卒業し、友人とふたりで翻訳事務所を経営している「僕」と、同じく大学を中退し、現実感を消失したまま無為に暮らしている「鼠」のふたりの物語がパラレルに並行しながら進んでいくが、それは決して交差することはない。
もちろん前作に登場した「ジェイズ・バー」も登場するし、多くは前作からの続編という側面で書かれている。


1973年、僕は近所の大きなスーパーの軒下に置いてあるピンボールマシンにハマっていた。
家人が寝静まった夜中に家を抜けだしては、毎夜レバーをガチャガチャ言わせ、飽きれば同じ敷地内に出来ていた24時間営業のミスタードーナツで、ジェリードーナツをぱくついていた。そしてまたピンボールマシンに興じていたのだ。
それは今から考えると、ほんの少しのアウトロー的な自分に酔っていたのだろう。そんな自分をカッコイイと確かに思っていたフシがある(笑)
そんな15歳のひと冬を過ごした経験がある僕がこの作品を読んだ時に、思わずそのカッコ良かった(と自分では思い込んでいた)自分の姿に物語を投影したのは言うまでもない。


この作品で圧巻なのは、やはり探し求めていたピンボールマシンとの再会の場面。
このクライマックス感は、散文詩と僕が感じた前作にはなかったもの。

『スイッチはその扉の脇にあった。レバー式の大きなスイッチだった。僕がそのスイッチを入れると、地の底から湧き上がるような低い唸りが一斉にあたりを被った。背筋が冷たくなるような音だ。そして次に、何万という鳥の群れが翼を広げるようなパタパタパタという音が続いた。僕は振り返って冷凍倉庫を眺めた。それは七十八台のピンボール・マシーンが電気を吸い込み、そしてそのスコア・ボードに何千個というゼロをたたき出す音だった。音が収まると、あとには蜂の群れのようなブーンという鈍い電気音だけが残った。そして倉庫は七十八台のピンボール・マシーンの束の間の生に満ちた。一台一台がフィールドに様々な原色の光を点滅させ、ボードに精いっぱいのそれぞれの夢を描き出していた。』

「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」の初期3部作の中で、僕は本作が一番好きだ。
それは内面にしか向いていなかった主人公である「僕」の世界観が、ここから外に向かい始めていく、その端正な瑞々しさが好きだから。
前述のピンボールと併せて、それは1973年の僕の姿と重ね合わせていたのかも知れない。

2019/01/21

My Favorite Movies Vol.1

『名もなく貧しく美しく』 1961年東宝
監督:松山善三 主演:小林桂樹、高峰秀子
美しく、そして哀しく気高い映画だ。

誤解を恐れずに言えば、僕は身体障害者の方同士の結婚には少々懐疑的ではあるのだが、その辺りもこの映画にはきちんと描かれている。

言うなればこの映画に登場する人たちは社会の最下層に生きる人々。
そんな彼らが幸せになろうと必死に足掻くのだが、その結果はあまり芳しくない。
貧乏ながらもやっと幸せを掴めたかと思うと、次から次へ問題が降りかかってくる。
それでもこの夫婦は懸命に、健気に生きていく。
が、その結末は・・・・・

娯楽の少ない時代の日本映画には、粗製濫造ゆえに見るに耐えられない映画も多いのだが、この映画のように名作と呼ばれる作品が多々存在している事も事実。
観客動員数がどうとかではなく、監督の伝えたい事がきちんと描かれている作品だ。


この映画は興行としても大成功したのだが、そのおかげで、「手話」というものが一気に世に知らしめられる事となる。
それまでは読唇術が主流であり、手話は蔑ろにされていた。
が、この映画がきっかけとなって世の中は手話が主流になっていったのだ。

主演の小林桂樹と高峰秀子との間に交わされる会話、それはほぼ手話で行われるのだが、その手の動きの美しさはどうだろう。
圧巻は何と言っても電車の窓越しでの会話。
それは思わず息を飲む美しい場面でもあった。

いつか仕事をリタイアして、無為な時間を過ごす機会ができたら
古い日本映画をゆっくり見たいものだ。

2019/01/03

Bohemian Rhapsody

映画、「ボヘミアン・ラプソディ」を観てきた。



大体に於いて僕は天の邪鬼な方なので、誰もが良いという映画は斜に構えて観てしまう癖ががある。
悪しき例の「ラ・ラ・ランド」のように、この映画も実は言うほど大した事はないんじゃないかとあまり期待せずに出かけたのだ。

が、その予想は見事に裏切られる事となる。

まず本編前の"20th Century Fox"のロゴ。
いつもは無音だが、そこにQueen風の4声コーラスとブライアン・メイらしいギターの音が入る。
もうそれだけで期待値はMaxではないか。

オープニングは、Live Aidのメインステージに向かうフレディ・マーキュリーの背中から。
そこから一気にエンディングまで見入ってしまった。
デビュー前にパブに向かうシーンで、CREAMの「Sunshine of Your Love」のイントロが一瞬挿入されるシーンも胸を熱くする。

そしてラストのライブシーン。
これはもう圧巻だ。
一曲目のBohemian Rhapsodyから僕は泣いていた。

フレディ・マーキュリーの栄光と挫折を描いたこの映画。
その根底にあるものはコール&レスポンス(呼応)だと僕は思う。

「エーオー」ってやつね。

フレディが何かを呼びかけ、そして誰かが応える。あるいはその逆。
 その場面が何度も登場する。
それは上手く呼応する時もあればそうでない時、関係が破滅していく予感をも描いていた。
例えば元恋人のメアリーと別居し、窓越しに電話でのやり取りと灯りでのコンタクト。
その直前に新居に呼んだロジャーとのシーン。

誕生日会で名前を変えたフレディが 電話を取った妹の呼びかけに応える場面がある。
「フレディ・マーキュリー、電話よ」

そこからQueenの伝説は始まった。
そして数多の呼応と挫折を繰り返しながら、ラストの大観衆とのコール&レスポンスへと向かうのだ。
AIDSの診療に訪れた病院の廊下で出会った患者の少年との小さなコール&レスポンス。
あれこそがフレディの背中を押したのだと僕は思う。


いい映画だった。


実は1975年に武道館で Queenを僕は見ている。
この映画で言えば、アメリカツアーが決まる直前の話だ。
「キラークイーン」はヒットしていたが、どちらかと言えばベイ・シティ・ローラーズと同等の扱いをされていた彼らに僕はさほど期待せずに武道館へ出かけた。

が、その予感は見事に裏切られた。
素晴らしいパフォーマンスと圧倒的な存在感に僕の胸は高鳴った。

今回、その時の気持ちをもう一度味わった気分だ。


I was born love to you / Queen