2019/01/22

My Favorite Books Vol.1

『1973年のピンボール(Pinball,1973)』村上春樹 1980年発表 

さようなら、3フリッパーのスペースシップ。さようなら、ジェイズ・バー。双子の姉妹との“僕”の日々。女の温もりに沈む“鼠”の渇き。やがて来る一つの季節の終り―デビュー作『風の歌を聴け』で爽やかに80年代の文学を拓いた旗手が、ほろ苦い青春を描く三部作のうち、大いなる予感に満ちた第二弾(文庫本背表紙より)


今更、村上春樹でもないのだろうが、あの当時、確かに僕に強い影響を与えた作品。

この物語が発表される9ヶ月前、村上春樹は「風の歌を聴け」でデビューしている。
もちろんその作品も読んだのだが、正直言ってその世界観に惹かれはしたが、個人的な感想として、これは物語ではなく、あくまで散文詩なのではないかと思っていた。
そんな思いを持ったまま本作品を手にしたのだが、豈図らんや、こちらはちゃんと物語になっていた。

そのお話は、前作で通っていた大学を卒業し、友人とふたりで翻訳事務所を経営している「僕」と、同じく大学を中退し、現実感を消失したまま無為に暮らしている「鼠」のふたりの物語がパラレルに並行しながら進んでいくが、それは決して交差することはない。
もちろん前作に登場した「ジェイズ・バー」も登場するし、多くは前作からの続編という側面で書かれている。


1973年、僕は近所の大きなスーパーの軒下に置いてあるピンボールマシンにハマっていた。
家人が寝静まった夜中に家を抜けだしては、毎夜レバーをガチャガチャ言わせ、飽きれば同じ敷地内に出来ていた24時間営業のミスタードーナツで、ジェリードーナツをぱくついていた。そしてまたピンボールマシンに興じていたのだ。
それは今から考えると、ほんの少しのアウトロー的な自分に酔っていたのだろう。そんな自分をカッコイイと確かに思っていたフシがある(笑)
そんな15歳のひと冬を過ごした経験がある僕がこの作品を読んだ時に、思わずそのカッコ良かった(と自分では思い込んでいた)自分の姿に物語を投影したのは言うまでもない。


この作品で圧巻なのは、やはり探し求めていたピンボールマシンとの再会の場面。
このクライマックス感は、散文詩と僕が感じた前作にはなかったもの。

『スイッチはその扉の脇にあった。レバー式の大きなスイッチだった。僕がそのスイッチを入れると、地の底から湧き上がるような低い唸りが一斉にあたりを被った。背筋が冷たくなるような音だ。そして次に、何万という鳥の群れが翼を広げるようなパタパタパタという音が続いた。僕は振り返って冷凍倉庫を眺めた。それは七十八台のピンボール・マシーンが電気を吸い込み、そしてそのスコア・ボードに何千個というゼロをたたき出す音だった。音が収まると、あとには蜂の群れのようなブーンという鈍い電気音だけが残った。そして倉庫は七十八台のピンボール・マシーンの束の間の生に満ちた。一台一台がフィールドに様々な原色の光を点滅させ、ボードに精いっぱいのそれぞれの夢を描き出していた。』

「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」の初期3部作の中で、僕は本作が一番好きだ。
それは内面にしか向いていなかった主人公である「僕」の世界観が、ここから外に向かい始めていく、その端正な瑞々しさが好きだから。
前述のピンボールと併せて、それは1973年の僕の姿と重ね合わせていたのかも知れない。

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