2017/11/19

Sister Act 2: Back in the Habit

「天使にラブソングを2(Sister Act 2: Back in the Habit)」1993年アメリカ映画
監督:ビル・デューク、主演ウーピー・ゴールドバーグ、製作タッチストーン・ピクチャーズ。

深夜、CSでオンエアしていたのを観た。

ウーピー・ゴールドバーグ主演で大ヒットしたコメディ「天使にラブ・ソングを…」の続編。
前作から1年後。ラスベガスで二流スターとして忙しい毎日を送るデロリスの元に、聖キャサリン修道院で出会ったかつての友人たちが訪れる。
聞けば社会奉仕先の高校の悪ガキ達にほどほど手を焼き、みな疲れきってしまっているという。
院長先生の頼みもあり、またそこが自分の母校であることもあってデロリスは援助の要請を受け入れる。
そして、再びシスター・メアリー・クラレンスとなって、サンフランシスコにある母校、聖フランシス高校へと向かうのであった。(Wiki)


1作目が大ヒットし、調子に乗って作られた続編は大体ツマラナイものが多いのだが、この映画はそこそこ楽しめる、いい映画だ。
ただしストーリーはとんでもなくSimplicityなのでご注意を。

この映画の最後に流れる「Ain't No Mountain High Enough.」はマーヴィン・ゲイの名曲。
僕は1970年のダイアナ・ロスのバージョンも好きだ。

そういえば、この映画とまったく同じようなストーリーのTVドラマを80年代に見た記憶がある。
主演は三上博史で、クラシック界から落ちぶれた指揮者が、落ちこぼれ学校の音楽教師になり、どうしようもなかった生徒たちを引っ張りコンテストに連れて行くというお話。

まぁ良くあるお話ではあるのだが。

2017/10/29

niyago

「カレーライス」などのヒット曲で知られ、24日から昏睡状態に陥っていたシンガー・ソングライター、遠藤賢司(えんどう・けんじ)さんが25日早朝、胃がんのため東京・新宿区の病院で死去した。70歳だった。“エンケン”の愛称で親しまれ、1960年代から70年代初めのフォークソングブームをけん引。昨年6月にがん闘病を公表後も亡くなる直前まで音楽活動を続け、最期までアーティスト魂を貫いた。
http://www.sankei.com/entertainments/news/171026/ent1710260002-n1.html


「不滅の男」
遠藤賢司が逝ってしまった。

僕が彼を始めて知ったのは14歳の頃。
ボソボソと呟く「カレーライス」をラジオの深夜放送で聴いたのが彼との初めての出会いだった。
陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺した三島由紀夫のニュースよりも、君の作るカレーライスの方が気になるという、その歌詞に驚くと共に僕に真のノンポリを教えてくれたのもこの曲だ。

その数カ月後に日比谷の野音で生の彼のステージを見ることが出来た。

いやね、もうその圧倒的な存在感とギターテクニック。
僕は口をポカンと開けて彼のステージを見つめていたのだ。
その帰りに当然のように彼のアルバム、「満足できるかな」を買ってしまい、電車賃までなくなって下落合の自宅まで歩いて帰ったのはいい想い出(笑)

◇         ◇          ◇

僕に多大な影響を与えてくれたミュージシャンたちが次々と旅立っていく。
先日逝ってしまったボー・ディドリーもそのひとり。

寂しいけど、それが生きるって事なんだよね。


夜汽車のブルース / 遠藤賢司  1970年全日本フォークジャンボリー


2017/09/17

Walk of life

ある日、当時の彼女に言われた。
「私ね、本当はもっと歩くの早いんだよ。あなたに合わせてたの」

それを聞いた僕は驚いた。
ずっと同じペースで歩んでいけると思っていたから。

人生はきっとそういうものなんだろう。

自分が全てではなく、誰かが僕に合わせてくれている。
気付かないのは僕だけで、いつだって誰かが僕に合わせて寄り添ってくれていたのだ。






背の高い彼女が
Kissの時には少し膝を屈めていたのを知ったのは
ずっと後になってからだった。




2017/09/08

Alone again Naturally

『お願い、これ以上優しくしないで・・・』

これは、僕が18歳の頃に付き合ってた娘に振られた時の言葉(笑)

この世には基本的にはオトコとオンナしかいない。
一部マイノリティな方々もいるのだろうが、そんな方達も心はどっちかのはずだ。

当然、それだけのオトコとオンナのドラマが存在する。

大体において、オトコは過去を大切にする。
オンナは今が全てだ。そして確たる未来を欲しがる。

僕らが大切にしている想い出を、「え?そんな事あったっけ?」の一言で片付けられてしまうのも良くある事例のひとつだろう(笑)

いずれにしても、オトコとオンナは恋に落ち、そして悲喜交々に同じ時を過ごす。

春に出会い、夏に燃え上がり、秋は親密さに酔い、そして降りしきる雪の中で彼女の背中を見送る。

そんな二人のシーズンに必ず聴こえていた曲がある。
その折々に流れていたあの曲。
カーラジオから
ふと立ち止まった街角で
灯を消したあの部屋で・・・

2017/08/27

Goodbye summer days

今の季節、移動中のカーラジオからよく流れてくる。



山下達郎の「さよなら夏の日」


夏が終わりつつある。
もうすぐ僕の大好きな秋がやってくる。
空の表情が明らかに変わってきた。

夏の終わりはどこかセンチメンタル。
過ぎ去った若い日々をふと思い起こさせる。

僕は何を無くし何を得てきたのか。
そしてあの頃願っていたあの場所に、今僕はいるのだろうか。



2017/08/07

A woman with a cheek hand

高校生になりたての頃、誰もがそうであったように
少し大人びた事をしてみたくなった。

バンドもバイクも刺激的ではあったけれども
それは所詮子供の戯言の域を出てはいなかった。

と、なれば、考える事は酒と女だ。

酒と女というニュアンス自体が、ムンムンと大人の雰囲気を醸し出しているではないか。

思い立ったら吉日!即実行できるのは若い証拠だ。
早速、僕らは肩をいからせながら、とあるRock専門のBarに出かけた。

今から考えると、そんなガキっぽい4人が薄暗い地下の
Barのカウンターに宿っていても
絵にもなんにもなっていなかったとは思うのだが
とにかく、僕らは咥え煙草をくゆらせながら
覚えたてのメロンフィズ(笑)なんぞを啜っていた。

そして、
時計が12時を回ったころ・・・

突然、S女子高の制服を着た女が
重い扉を開けて、階段を下りてきた。


その瞳は、まるで見えない誰かに戦いを挑むように
店内中を見回し、そして
静かにカウンターの隅に腰を落ち着けた。

おもむろに煙草を咥えた彼女の前に
さも当然のようにバーテンが差し出したお酒が
オリーブの浮いたマティーニ!
女子高の制服にマティーニ!!
目一杯気取っている僕らがメロンフィズなのに!


そして、けだるそうに
頬づえをつきながら
彼女は 文庫本を読み始めた。

僕は
半世紀近く年生きてきたが
あれほど頬杖姿が完成されてる女を
未だかつて見たことが無い。

それほど、完璧な頬杖姿だった。



彼女は、今でもほの暗い地下のBarで
あの完璧な頬杖をついているのだろうか。

2017/07/30

Are you fine, men?

百間川の土手を通った。 

中年・・・と言うか初老と言った方がいいような男たちが集まっている。 
何をしてるんだろうと車を止めて見てみると、何とラジコンの飛行機やらヘリやらを飛ばしていた。 

定年後の趣味なのだろうか。 
数年前まではいっぱしの部長や課長だったような方たちが、子供のような屈託のない笑顔と、そしてそれに相反するような真剣さで操縦器を握っている。 

酷い暑さの予感を漂わせながらも、気持ちのいい朝の風が吹き抜ける夏の川原で、彼らは本当に楽しそうに時を過していた。 

こういう人生もいいものなのかなぁ、としみじみ考える。 


古い話で恐縮だが、ずいぶん若い頃に印刷屋でアルバイトをした事がある。 
写植などがまだ普及しきっていない時代、所謂活版印刷が主流という時代のお話だ。 

僕は渡された原稿を元に、鉛で出来た活字を一文字づつ棚から拾っていく仕事をしていたのだが、その拾い上げた活字を活版に組む職人さんがいた。 
年の頃なら40過ぎだったろうか。 
彼は8時半に出勤してきて、5時半に作業が終わるまで毎日黙々と活版を組んでいた。 
聞くとそれを20年以上続けていると言う。 

趣味は何ですか?と聞くと、毎日一本のビールとテレビでの巨人戦なんだそうである。 
それだけが唯一の楽しみなんだと。 

これには唖然とした。 
ようやく10代も後半に差し掛かろうかという僕には、到底理解出来ない彼の人生だったのだ。 


また、高校生の頃に喫茶店でバイトをしていた。 
その店に毎週日曜日の朝、決まった時間に必ず現れる3人のおとなしそうな中年の男たちがいたのだが、彼らはいつも同じモーニングサービスを頼み、何を話すでもなく、美味そうにコーヒーをすするだけの時間をきっかり30分過ごして帰っていった。 
まるでその席だけが、流れる時間に置いてきぼりを食ってるような感覚さえ覚えたものだ。 

当然のように、この男たちの人生も当時の僕には全くと言っていいほど理解が出来なかった。 

何といっても、僕らの見るもの触れるもの全てが輝いていた時代なのだ。そんな貧乏臭い人生は真っ平ゴメンだと思っても仕方がないではないか。 


けれど、今なら彼らを充分に理解出来るような気がする。 

どんな人にも、それぞれのドラマがあり、そしてそれぞれの人生がある。 
毎日の一本のビールも巨人戦のテレビも、そして毎日曜日のモーニングサービスも、彼らにとっては何物にも変えがたい「聖なる領域」だったのだと今の僕は知っている。 

そして誤解を恐れずに言えば、これはひょっとして女性には理解して貰えない事ではないのかなとも思っている。 
ステテコを穿いてビール片手にテレビの野球を見ている毎日の姿は、女性にとってあまり魅力的には映らないのだろう。 


僕は運良く音楽と出会った。 
そしていつも音楽がそこにあった。 

でも、もし僕が音楽と出会っていなかったら? 

印刷屋のその彼と同じように一本のビールとテレビの巨人戦だけが楽しみな人生を送っているかも知れないではないか。 

いや、それはそれで案外悪くないような気もするんだけどね(笑)

2017/07/23

yumeji



僕は夢二が好きだ。 
おそらく日本初であろうイラストレーターというポジションを選んだところも 
現在だったら、さしずめポップアートと呼ばれていたいたであろうと思われる作風も好きだ。 

当時の所謂「画壇」という世界とは一線を画し、ただひたすらに己の画風も求めて旅をしていた、その制作姿勢に憧れる。 

けれども、彼の一番好きなところは、彼の実際の生き様。 
女を愛し、そして裏切り裏切られ、また女にのめり込む。 
破滅をこよなく愛するような、あの生き方は素敵だ。 

中原中也にしてもそうだが、破滅願望を押さえきれず、女性にのめり込み、世間の常識から程遠いところで人生を終える。 
良く世間一般では「自由奔放」という図式で書かれるけれど、実際はそんな単純なことではないと思う。 

おそらく、魂と肉体と感性の戦いを常時経験してる人種なのだ。 


須く、アーティストは、自分の身を切り刻んで売っている。 
そして、書けなくなったとき、演れなくなった時、創れなくなった時 
必然的に、彼らは自らの生涯を閉じる。 

それだけ、自分の命を削ってでも創り出したそれぞれの作品だから 
彼らは今でも僕らに感動を与える。 

「感動」 

それは、現在のシステムにおいては、もっとも邪魔になるものだ。 
なぜなら、人は「感動」してしまう事で、容易に道を踏み外すから。 

「アリとキリギリス」の話を思い出してみるがいい。 
あのお話は「感動」をことごとく排除している。 
あのお話こそが、体制が僕らに求めている姿勢なのだ。 


話が逸れてしまったが 
僕は、人生に行き詰った時 
必ずといって良いほど夢二の生家を訪れてしまう。 

旧く、薄暗く、そして少しだけカビ臭い空間に身を置いていると 
あの偉大なるアーティストの息吹を 
ほんの少しだけ感じることが出来るのだ。 

2017/07/02

Screen Music

映画音楽(えいがおんがく)は、映画の中で使用される音楽。映画作品を通して貫かれている主題、登場人物の感情や性格、場面の状況などを、音楽という抽象的な表現形式によって視聴者に伝達する、重要な役割をもつ。
とWikiにはある。


実はこの手の「映画音楽大全集」みたいな企画物が大好きである。
別にオリジナルサントラである必要はない。昔の各レコード会社が持っていたオーケストラの演奏のヤツで全然構わない。

どんな映画音楽でも、聴くとやはりその場面を思い出してしまう。
それほど映画と音楽の関係は密接なのだ。
印象的なのは「太陽がいっぱい(1970年)」「ロミオとジュリエット(1968年)」「ゴッド・ファーザー(1972年)」のニーノ・ロータ。
そして「80日間世界一周(1956年)」「誰がために鐘は鳴る(1943年)」「シェーン(1953年)」等のヴィクター・ヤング。
最近では一連のスピルバーグ作品やジョージ・ルーカスの「スターウォーズ」シリーズのジョン・ウィリアムズか。
ちなみにこのジョン・ウィリアムズ、古くは「宇宙家族ロビンソン」や「タイムトンネル」などのテレビ作品も手がけているんだねぇ。

さて、僕が最高の映画音楽と映像のマッチングと個人的に思っているのは、マルチェロ・マストロヤンニとソフィア・ローレンが主演した「ひまわり(1970年)」なのだ。
あのラストシーンに流れるヘンリー・マンシーニのテーマ曲、これほど素晴らしく、そして哀しいラストシーンを僕は知らない。
今でもこの曲を聴くと、あのラストシーン、そして当時の2番館のすえたような館内の匂いを思い出す。
惜しむらくは、この映画は中学生の頃にひとりで観に行ったので、仄かな恋心の思い出がない事か。
あの時、気になる女の子が隣に座っていてくれれば完璧な思い出だったと思うのだが。


2017/06/18

Line

過去は曲線

未来は直線

ふたつの線が絡みあうさまは美しい

それこそが人生


2017/05/15

Good-by Yellow Brick Road

夕方、オランダ通りを歩いた。

エルトン・ジョンではないが、「黄昏のレンガ道(Yellow Brick Road)」は素敵だ。
道行く人たちは少しの疲労感と、そして「拘束」からの僅かな開放感を表情に漂わせながら歩いている。

通り沿いにあるビストロの窓からは、幸せそうな恋人達の笑顔が見てとれる。
スクランブル交差点の角で、所在なさげに立っている彼女は未だ来ない恋人を待っているのだろう。

そんな時間の街が好きなのだ。


2017/05/07

Love & Peace

1969年8月。
アメリカはニューヨーク州サリバン郡で行われた"Woodstock Music and Art Festival"

1969年と言えば僕は11歳。
こんなフェスティバルが行われた事など露ほども知らない子供だった。
まだ半ズボンをはいて外を飛び回っていた頃だ。

この愛と平和の祭典が行われた事を知ったのは中学に入ってから。
洋楽に興味を持ち始め、ミュージックライフを読んで知ったのだ。

そしてちょうどその頃・・・神楽坂に開館したばかりのギンレイホールにウッドストックの映画がやってきた。
記憶は曖昧なのだが、確かその頃だと記憶している。

同時上映はなんだったっけ。
イージーライダー?

いや、そんな事はどうでもいいのだが
とにかく僕はそのドキュメンタリーフィルムを見ていたく感激したのだ。

なかでも"Sly & The Family Stone"の『Higher』
そして"Joe Cocker"の『With A Little Help From My Friends』
この2曲はその後も僕の中で特別な存在であり続けたほどだ。

もちろん言うまでもなく他のアーティストも素晴らしかった。
が、何と言っても僕が憧れたのは、あのヒッピームーブメントの自由さ。

まだ純粋だった僕は、音楽で世界が「Love & Peace」に包まれると確信したのだ(笑)

その時以来、僕は野外コンサートに憧れる月日を過ごす。
いつか青空の下で「愛と平和の祭典」を経験してみたかったのだ。

しかし、その機会を得るには、それから約5年を要する。

高校3年の夏休み。
オールナイトロックコンサートが行われた。
今となっては誰が主催者で、他に誰が出てて、自分のバンドが何を演ったのかも覚えていないが、とにかく進行がグダグダだったのは良く覚えている。
何だかビールと西瓜はやたら豊富に用意されていたような記憶もある(笑)

とにかく僕の憧れていた「愛と平和の祭典」とは程遠いものだった。

あ、ひとつだけ鮮明に覚えてることがある。
僕はひとり海岸に腰掛けビールを飲みながら、当時付き合っていた彼女の事を想っていた。
彼女にこの沈み行く夕陽を見せてあげたいとぼんやり考えていたのだ。

本番もそれ以外も殆ど覚えていないグダグダの野外コンサートの中で、そのシーンだけが妙にリアルだ。
そしてそれは生々しいリアルさではなく、ほんのりとセピア色のリアルさ。
僕はあの頃の「僕の後姿」を記憶にとどめている。
それはまるで古いアルバムに貼ってある1枚の写真のようだ。


2017/05/01

Chet Baker

雨降りの月曜日の朝に、彼の歌声を聴くと、必ず仕事に行きたくなくなる。
それほどに彼の声は怠惰に満ちていた。
80年代が、青い空と、海と、サーフボードに満ち満ちていた時、その裏面に彼がいつもいた。
薄暗いショットバーに、彼の歌声とペットの音が良く似合った。
かれの破滅的な生き方が、妙に軽薄で明るすぎる80年代の空気になぜか似合っていた。

1988年5月13日、チェットはオランダアムステルダムのホテルの窓から転落して死亡した。

その日以来、僕を仕事に行かせなくなる程のミュージシャンは現れていない。


2017/04/24

I Tsuredaso music to town!

SONYのウォークマンが発売されたのが1979年。
「音楽を街へ連れ出そう」がコンセプトの画期的な商品だった。
FMラジオの音楽番組を録音するエアチェックや、レンタルレコード屋が盛況を極め始めたカセットテープの時代だ。

僕もご多分に洩れず入手したが、使ったのは最初の数週間。
街でステレオ音源が聴ける!という驚きも、たったそれだけの刺激でしかなかったのだ。

ミュージシャンらしくないが、基本的に僕は外で音楽を聴かない。
イヤホンを耳に街を歩く事をしないし、車移動でさえカースレテオを使わない事が多い。
そう、音楽よりも街の音が好きなのだ。

街には様々な音が溢れている。
人の話し声、自転車のブレーキ音、車のクラクション、若い女性たちの嬌声。
ビルの谷間を吹き抜けていく風の音、その風にざわめく街路樹の葉。
僕はそんな雑多な音をこよなく愛している。


2017/04/18

ONIHEI

アニメの「鬼平犯科帳」を観てみた。
これは僕の知っている鬼平ではない。
が、悪くはない。

賛否両論はあるだろうと思う。
正月2日に将軍にお目見出来る立場の旗本である平蔵が月代もないなんてどうよ!って話なのだが、そこはそれ、新しい解釈があってもいいのかなと思うのだ。

僕が知っている鬼平は、コミックならさいとうたかお。
時代劇ならやはり中村吉右衛門だ。
特に吉右衛門の鬼平は原作の鬼平を最も具現化出来ているような気がする。

だがこのアニメの鬼平が原作のイメージからは程遠いのは前述のとおり。
まず見た目が若い。
髪はロン毛のくせ毛。
細身で華奢な体つき。
一見しただけでは「誰だよ!」となるのは当然。

しかしやがてそれも気にならなくなってくる。
不思議と違和感なく観られるのだ。

ただひとつ不満なのが、「食」に関する解釈が殆どないこと。
池波文学は「食」が重要なファクターとなっているのは周知のとおり。
池波氏ご自身も、「僕は食で季節感を出す」と折に付け書かれているが、このアニメではそういうシーンは殆ど無い。
時に「五鉄」で軍鶏鍋を突付くシーンがある程度か。

その分、違うアプローチで季節感を出しているのはお見事。
鬼平と相模の彦十が五鉄で酒を酌み交わすシーン。
傍らの角行灯の中には一匹の夏の蛾が入り込んでいる。
彦十の背に映るその蛾の影が、決して嬉しくはないその夜のふたりの会話を見事に表現していた。

そしてもうひとつ特筆すべきは江戸の街のその風景描写だ。
これはため息が出るほど美しい。
長屋の風景では長屋の真ん中を通る、生活排水を流す溝さえちゃんと描かれていたのには驚かされた。

アニメ版の鬼平。
何度も言うが、決して悪くはない。

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2017/04/10

Rainy Day

雨は優しい。
憎しみや怒りも
しずかに静かに包み込んでくれる。

醜い嫉妬心や羨望
そんなものさえも包み込む。

ひとり
雨音を聴いていると

「大丈夫だよ」

そう言ってくれているような気がする。


2017/04/02

Songs

深夜、BSデジタルの民放で「音楽のある風景」という通販番組をオンエアしている。

何を隠そう、実は僕はこの通販番組が好きなのだ。

所謂オムニバスのCD-BOXとかDVD-BOXの通販なのだが
その内容は意外に幅広い。
フォークからニューミュージック、クラシックから洋楽、或いはヒーリング系やRock系。

特に「あの頃系」の企画モノはバックに当時の映像が流れるので、見ていて思わずタイムスリップしそうになってしまう。
深夜、アルコールがすでに頭に廻りつつある僕は至極単純なのだ。

この手のオムニバスアルバムを聞くといつも思うのだが、俗にいう「名曲」というヤツはいつまでたっても「名曲」なんだなぁ、という事。


話が少し逸れるが、うちの義母が良く「最近の音楽は良く分からん」とぼやく。
曰く「歌詞が何を言ってるのか分からない、取敢えず音がでかい、やたら大声で叫ぶ・・・等々」
そんな時、僕はいつも彼女にこう言う。
「でもね、ばあちゃん。ばあちゃんが若い頃好きで聴いてたルイ・アームストロング。周りの大人はみんな眉を顰めてただろ。それと一緒だよ」

そう、いつの時代も「それぞれの世代」に「それぞれの音楽」「それぞれの名曲」があるのだ。

2017/03/26

Johnny B Good

ギター少年の誰もが一度は弾いたことのあるフレーズ。
それが、"Jhonny・B・Good"のあのイントロ。

◇          ◇           ◇

ロックンロールの創始者の一人とされるアメリカのミュージシャン、チャック・ベリーが3月18日に死去したと、ミズーリ州セントチャールズ警察が発表した。この日の午後12時40分に救命救急が呼ばれたが、手当の甲斐なく、午後1時26分に亡くなったという。90歳だった。

FOXニュースによると、ベリーは1926年、ミズーリ州のセントルイスで生まれた。隣人からギターの基礎を学び、1952年にピアニストのジョニー・ジョンソン率いるグループに参加。その間、ベリーは生活のために、美容師として働いてたという。

しかし、すぐにチェス・レコードと契約。「メイベリーン」という曲でデビューした。独特のギター奏法とギターを弾きながら腰を曲げて歩く「ダックウォーク」が話題となり、その後、「ロール・オーヴァー・ベートーヴェン」「ロックンロール・ミュージック」「ジョニー・B・グッド」などをヒットさせた。
"THE HUFFINGGTON POST" http://www.huffingtonpost.jp/2017/03/18/chuck-berry_n_15456876.html
◇            ◇           ◇

僕らだけではない。
今も活躍するあのスーパーギタリストも、今はもう亡くなってしまったあのギタリストも、おそらくは世界中のギタリストの殆どが弾いた覚えがあるイントロ。
ジョンもキースも彼を敬愛している。

「ロックンロールの創始者をひとりに決めることはできないが、一番近い存在がベリーだ。」
これは1983年に第一回のロックの殿堂入り決めた時に発表された殿堂側のコメント。

とは言っても、僕らの年代はチャック・ベリーそのものをを殆ど聴いたことはない。
彼の曲をカバーしたそれぞれの名演を聴いて育った世代なのだ。
例えば前述の"Jhonny B Good"を僕が始めて聴いたのはエドガー・ウィンターの1972年にリリースされたライヴ版。
僕の弾く"Jhonny B Good"はそのPLAYスタイルが今も基本となっている。
だとすれば、僕らはチャック・ベリーの孫みたいなものだ。

ロックンロールという音楽を作り出したチャック・ベリー。
その遺産は今もロックに確実に息づいている。

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2017/03/17

Good by say "Haruki Murakami"

僕が村上春樹を読んだのは「ノルウェーの森」まで。
いや、「ダンス・ダンス・ダンス」までは読んだか。
それ以降の氏の作品は何ひとつ読んでいない。
「騎士団長殺し」はもちろん「IQ84」もご多分に漏れずだ。


正直言えば、初期の彼の作品、特に「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」の群像3部作は今でも好きだ。
あの生活感の無さ、そしてライフスタイルは当時の世相と相まって、僕の心にピタリとはまった。
MJQを聴きながらパスタを茹でる、あるいはレーナード・バーンスタインを聴きながら時間をかけて髭を剃る、なんて事は当時の僕にも今すぐに出来そうな事だったのだ。

今では笑い話だが、物語の中の主人公の真似をして、とあるバーで落花生の皮を床にまき散らしてマスターに叱られた事もある(笑)

そんな僕も、いつしか氏の作品を読まなくなった。
なぜか急速に興味を無くしていったのだ。

それは氏の作品の中の「僕」と、実際の僕自身が乖離を始めたの結果なのだろう。
現実世界には「鼠」も「羊」も登場しない。
それが誰かへの比喩や投影であったとしても、少なくとも僕の前には存在しない。
それを知った僕は、1973年のピンボールをもはや弾かなくなっていたのだ。

が、今でも思うのは
氏の作品は、文字の後ろにいつも音楽が鳴っていた。
それも片岡義男のような押し付けの音楽ではなく、極々薄く・・・それはあたかも最初からそこにあるように当たり前に流れていた。

果たして騎士団長殺し」や「IQ84」もそういう世界観なのか。
暇ができたら一度読んでみたいとは一応思っている。

まったくやれやれである。


2017/03/12

A HARDEST NIGHT!!

「寝ずの番」
俳優の津川雅彦が2006年にマキノ雅彦名義で撮った第一回作品。
原作は中島らも。


夜中にCSでオンエアしていたのを見るともなく観た。
いや、これがね、実に面白かったのよ。
おそらくは6代目笑福亭松鶴をモデルにしているのであろう笑福亭橋鶴(長門裕之)のお通夜、そして一番弟子の橋次(笹野高史)、おかみさん(富司純子)と続くお通夜を描いた映画なのだが、それがなんとも粋で滑稽なのだ。


中でも橋太(中井貴一)と橋鶴との恋敵であった元鉄工所の社長(堺正章)の座敷歌合戦は圧巻だった。
とんでもなく卑猥な座敷歌の応酬なのだが、それは実に粋だ。
そして中井貴一と堺正章の芸達者ぶりには驚かされる。

悲しくもどこか可笑しい上方落語家のお通夜。
まさしく人情噺だね。

が、僕の目を一番惹きつけたのはこの人。
橋次と橋太が飲みに行ったバーにいた女(高岡早紀)なのだが、これがなんともスケベでいい女なのだ。
橋次は誘われて一夜を共にするのだが、橋次の語りと濡れ場で描くその描写は面白くも実にエロチック。
この映画が文科省推薦でR15指定という訳の分からないのもうなずけるというものだ。
あの高岡早紀に誘われて断る男はまずいないだろうと僕は思う。(笑)

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2017/03/05

Bun,Bun,Bun!

ミュージシャンのムッシュかまやつ(本名:釜萢弘 かまやつ・ひろし)さんが3月1日、すいガンのため都内の病院で死去した。78歳だった。
かまやつさんは2016年9月6日、肝臓がんで入院中であると所属事務所が公表。9月に予定していたコンサートを中止していた
がん公表時には、所属事務所を通じて「絶対復活するから心配しないでください! それまでいろいろご迷惑おかけします!」とメッセージを発表していた
スポニチによると、かまやつさんは2016年10月末に退院。以降は、いとこで歌手の森山良子(69)宅に身を寄せるなどして、通院治療を続けていたという。
2016年12月8日には、ザ・スパイダースで一緒に活動した堺正章の70歳記念ライブに姿を見せた。産経ニュースによると、堺が「1曲だけ歌っていく?」と冗談のつもりで提案すると、ムッシュは「(歌わないと)金(=ギャラ)をもらえなくなっちゃうからね」と、ザ・スパイダースの名曲「サマー・ガール」を堺とデュエットで披露。これが、最後の公の場となった。【The Huffington post】
http://www.huffingtonpost.jp/2017/03/01/monsieur-kamayatsu_n_15089570.html


かまやつひろしという人は音楽界に於いてどういう立ち位置だったのだろう。そんな風に僕はいつも思っていた。

僕が彼を知ったのはザ・スパイダーズのメンバーとしての彼だ。
が、アーティストとしては大野克夫に決して勝てはしないし、プレイヤーとしては井上堯之の足元にも及ばない。
ましてやエンターテイナーとして見れば、井上順と堺正章とは到底比較も出来ない。
だとすれば「かまやつひろし」という人はなぜザ・スパイダーズに存在していたのか。
僕はそれがずっと疑問であったのだ。
が、彼の代表曲と言われてる「我が良き友よ」のB面である、「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」を聴いて、その疑問が霧散のごとく晴れた。

当時、吉田拓郎とのデュオで発表した「シンシア」が売れて、所属先のCBS-SONYからその路線で行くことを強要されて発売した「我が良き友よ」。
しかしかまやつ氏自身はこの曲にあまり乗り気でなかったらしい。
ならばと言うことでB面に入れたのが「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」だ。

この曲は、その時代アメリカで人気のあった最強のファンクユニット、「タワー・オブ・パワー」をバックにただひたすら呟くという、実にかまやつ氏らしい作品。
そしてもうひとつ、特筆すべき曲は1970年に発表された「どうにかなるさ」。単純なフォーク系の曲かと思いきや、1番と2番のコードワークがまったく異なっている。
一番は確かに単純なストロークなのだが、2番は妙なテンションコードを使い、ジャズ的なコードワークも随所に見られる。

そういう粋でツボを心得た音楽的アプローチ。
それこそがスパイダーズに於けるかまやつ氏の存在感だったのだろうと思う。

多くのメディアは彼の代表曲を「我が良き友よ」と言っている。
が、決してそうではない。
彼の代表曲は彼がリリースした全ての曲だ。
そしてそのエッセンスこそがムッシューかまやつ氏そのものなのだと思う。

合掌。

ゴロワーズを吸ったことがあるかい / かまやつひろし
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