2019/12/15

Yes it's me

14歳の秋、この曲が僕の人生観を一変させた。





他の誰でもない。
僕は僕自身だ。

2019/12/12

Alexa

我が家にAlexaがやってきた。

はい、Amazonのサイバーマンデーに見事に釣られたのでございます。






「Alexa、今日のニュース聞かせて」
「Alexa、クリスマスミュージックかけて」
「Alexa、明日の天気は?」

AppleのSiriと同じく、彼女は律儀にリクエストに応えてくれる。
時に意味不明のアクションを起こすのはご愛嬌か。


でね、85歳のうちのばーちゃんに使い方を教えたの。
ばーちゃんジャズ好きだから、「Alexa、ルイ・アームストロングかけて」と声をかけたら聴かせてくれるよと教えたの。

で、いよいよばーちゃんAlexa初体験!








「枯れ草!、ルイ・アームストロングかけて」



2019/12/01

深淵






















「薄化粧」西村望著

僕はこの小説が好きでね。

人生の深淵を垣間見ることできる。

2019/11/10

給食

子供の頃の給食。

どちらかと言えば、僕は苦手な方だった。
太平洋戦争前後の食糧難の時代を過ごされた方から言えば、何を贅沢を言っているんだ!とお叱りを受けるだろう。

が、僕らの育った世代。
少なくとも飢えていたという記憶はない。
かと言って食卓に並ぶ素朴なおかずに文句を言える年代でもない。

その反動だろうか。
今の僕は食に対してかなりわがままだ。
食べたいものを食べたいときに食べる。
ある意味迷惑至極な人なのだ。


話が逸れた。
給食に話を戻そう。

いつだったかな。
仕事で広島県の何とかという田舎町を車で通過していた。
そこでふと目に止まった廃校。
普通、廃校というやつはひと目で廃校と分かる雰囲気を醸し出している。
嘗て子どもたちの歓声が響いていたであろうその校庭と校舎は、「役目を終えたもの」としてその存在感を静かに誇示しているようなものなのだが、ここの廃校は少し違っていた。

「給食やってます!」
と書いた幟が校門のはためいているのだ。

好奇心の強い慈恩君。
この機会を逃すはずはない。

校庭に車を駐め、正面玄関を入るとこんな風景が出迎えてくれた。





















1960年代を下落合で過ごした僕の覚えている学校とは少し違っている。
あの時代、新宿は爆発的な人口増加と東京オリンピックに伴う再開発で、僕の通う小学校も木造校舎が次々に取り壊され、新たにコンクリート作りの校舎がさほど広くもない校庭を侵食し始めていた。
4,000人近い児童が通う小学校は情緒というものには程遠いものだったのだ。

こんな山の学校に通ってみたかったとふと思った。
濃密な人間関係が構築されていたであろう小さな学校。
親も子どもたちも誰もが顔なじみの極小のCommunity。

・・・息苦しいような気もするな(笑)



さて、給食である。

給食セット、税込み1,080円(増税前)




















カレー、鯨の竜田揚げ、揚げパン、サラダ、冷凍みかん、脱脂粉乳というラインナップ。
まぁ王道だな。
と言うかどれも美味すぎだった。
懐かしいというよりも美味いの方が先に立ってしまう。
鬼門の脱脂粉乳も、あの少し茶色がかった膜の張っていた最強に不味いやつではなく、普通にスキムミルクだった。

例えば、奇をてらってあの時代の給食にあったように、春雨の酢の物に食パンという訳の分からない組み合わせをメニューに加えたらどうだろう。
今だったら、その酢の物で一杯やるのだろうか。
で、食パンはお持ち帰りにしてバックの底でガビガビに(笑)


それでも懐かしい味に満足した僕の目にふと止まった古い足踏みオルガン。




















Deep Purpleの"StrangeWoman"のイントロを片手でなぞってみたのだが
案の定音の出ない鍵盤がある。
F2、B1、C2・・・

それはこの学校に通っていた子どもたちの、まさしく「今」を表しているのかも知れない。
一人欠け、二人欠け、そしていつかは全ての鍵盤は鳴らなくなってしまうのだ。

2019/10/06

The Intern

The Intern(邦題:マイ・インターン)2015年公開 アメリカ映画
監督・脚本・制作:ナンシー・マイヤーズ
主演:ロバート・デ・ニーロ・アン・ハサウェイ

昨夜、地上波でオンエアしていたのを観た。

「プラダの悪魔」は素晴らしい作品だったが、この作品に関してはとても心が暖かくなる映画としか予備知識がなかった。

で、結論から言えば、まさしく心が暖かくなる映画だった(笑)

仕事モノを装いながら、その実は年齢差のある男女の恋愛映画。
とは言ってもそこらに良くある恋愛映画ではない。
ロバート・デ・ニーロとアン・ハサウェイという意外性のあるふたりの共演がなんともいい。

この作品の評判自体はさほど高くはない。
その低評価の大半は「上司が女性で部下が男性という時流に即したテーマを十分に掘り下げることができていない。」というものだ。
それはまぁ確かにそうなのだが、それは仕事がテーマとして観た場合なのだろう。
反して恋愛映画として観ればこれほど上質な映画はない。

映画の後半、二人で観た映画の台詞「君は僕の運命の人」「君は天使からの贈り物」
ロバート・デ・ニーロも泣いていたが、僕も泣いた。

僕もあんな風に歳を重ねたいなと願う。
穏やかで、知的で、すべてを包み込む包容力。
そんな老人に僕もなりたい。

2019/09/29

In may LIfe

人に疲れることがある

誰とも関わらず

話もせず

ただひたすらに怠惰な時間を過ごしたいと願う




少しだけ秋の気配を感じる

そんな自分だけの時間を抱きしめたい



2019/06/16

Here's that rainy day

いよいよ本格的な梅雨に入った。

申し訳ないが、僕は雨の日が大好きだ。
これは物心ついた時からずっと変わらない。

雨の日には音楽はいらない。
あったとしても、ホンの小さな音で、囁くように鳴らすだけ。
あくまで主役は雨の音なのだ。

雨の日は心が穏やかになる。
遠いあの日の出来事にも、静かに心を馳せる事ができる。

14歳の僕は、初恋の相手とも言えないような幼い恋心を抱いて、同級生の女の子と相合傘で歩いていた。
季節はちょうど今と同じ。梅雨入りをしたばかりの頃だ。

初めての相合傘。
時折触れ合う彼女の裸腕の柔らかく暖かい体温が、僕にはこの世界で一番大切なものに思えた。

さて、そんな雨の日にお贈りする今日の一曲。(別にそんなコーナーがある訳ではない)

雨をモチーフとしたスタンダードナンバーの、『Here's that rainy day』

Johnny Burke作詞、Jimmy Van Heusen作曲によって作られた1953年のナンバー。
"How love becomes cold rainy day(愛が冷たい雨の日になってしまった)"というリフレインが印象的。
Bill EvansやAstrud Gilbertoなど多くのプレイヤーがカバーしている名曲。
今日はBill Evansの演奏で。

2019/04/14

Rolex

一昨年、僕の会社の経営状態がヤバくなった時、持っていた時計の殆どを手放した。
それでも何とか辛抱して一本だけ残したのが右のRolex Explorerの33mm。

Rolexなんぞはスノッブの極みだと思うのだが、なぜか手放せなかったのだ。
いや、決してキャバクラのオネーチャンにモテたい訳ではない。

例えば冠婚葬祭の時。
スーツの腕元ににはやはりドレッシーな時計が似合う。
重宝しているApple Watchでも悪くはないとは思うのだが、そういう場ではどこかジュエリー感覚が欲しいというものだ。

昨今は腕時計を着けない人も多いと聞く。
昔と違い、スマホがあればいつでもどこでも時間は確認できるというわけだ。
そういえば街中でもあまり時計を見かけななくなったよね。

しかし、やはりビジネスの場では腕時計は必要だと思う。
例えば打ち合わせが長引いた時、チラリと時計を見るのは構わないが、ポケットからスマホを取り出し時間を確認するのはどうかと思うのだ。

うちのスタッフには腕時計を着けるように指導している。
何も高級時計を着ける必要はない。
現場ではG-SHOCKやCASIOのタフソーラーなんかで十分だ。
スーツの時は逆輸入のSEIKO5なんかだとオッと思ってしまう。

以前、うちに出入りしている信用金庫の渉外担当がRolexのコンビのデイジャストを着けていた。
さすがにそれはないんじゃないのと言ったのだが、彼曰くそれは祖父の遺品であるとのこと。

「これを着けていると、幼い頃から可愛がってくれていた祖父がいつも側にいてくれるような気がするんですよ」

泣かせるんじゃねーよ!(´;ω;`)

2019/04/07

Mobile life

これは僕のバッグに入っているMobile関係のポーチの中身。

モバイルバッテリー
車載用アダプター
イヤホン
LightningからType-Cへの変換プラグ
Apple Watch用の充電ケーブル
Bluetoothヘッドセット
Lightningケーブル




もうなんかめんどくさい(笑)


2019/03/31

Green book

観てきましたよ。

人種差別が色濃く残る1960年代アメリカ南部を舞台に、黒人天才ピアニストとそのボディガード兼運転手が演奏ツアーを通して友情を育む感動作『グリーンブック』。

粗野で無学なイタリア系のボディガード、トニーに扮するのは「ロード・オブ・ザ・リング」シリーズや『はじまりへの旅』(2016)などで知られるヴィゴ・モーテンセン。
彼をツアーの運転手にスカウトした天才ピアニスト、ドクター・シャーリー役には『ムーンライト』(2016)でアカデミー助演男優賞を受賞したマハーシャラ・アリを迎え、笑いと感動に満ちた作品になっていた。

と、一般的な評価は各所で多く書かれているので割愛するとして。


僕は1980年代の初頭に無謀にも小説を書いてみようとしたことがある。
そのタイトルは『EXIT(非常口)』
ご多分に漏れず途中で挫折したのだが、その小説の冒頭はこうだ。

「人には『居場所』が必要だ。 そしてその居場所には必ず『EXIT(非常口)』が必要なのだ。」

この映画を観て、自分で書いたその言葉を思い出した。

ドクター・シャーリーには居場所がない。
黒人がクラシックを演奏することが許されない時代。
かと言ってジャズやR&BをPlayすることも自身が許さない。

白人には卑下され、黒人には嫉妬される。
ほんの短いシーンだが性的なマイノリティである場面も描かれている。

自身が何者なのか。
そしてどこへ向かおうとするのか。

その答えはトニーが教えてくれた。

「淋しいときには自分から動きな」

 ツアー最終日をドタキャンした下町のセッションも圧巻だし、ラストのトニーの家族に迎えられるシーンも感涙ものだが、やはり僕がお勧めのシーンは、トニーが呟くこのシーンと、ツアーから帰ったドクター・シャーリーがカーネギーホールの階上のあの豪華な部屋で玉座に座らないカット。


人には『居場所』と『EXIT』が必要だ。

そんなことを改めて思い出させてくれたこの映画。
いい映画でした。

 Green Book (2018) - At The Orange Bird Jukejoint Scene (9/10) | Movieclips

2019/03/24

Moon

古より、月は神秘的なもので在り続けています。
どの国の、どんな古い書物にも、月は必ず登場しています。

Spiritualな事には、まったくと言っていい程の門外漢なのですが、そんな僕でさえ、月には何か神秘的なものを感じます。

うんと若い頃、部活動や遊びで遅くなった時に、月明かりの中を帰るのが好きでした。
街中では分かりにくかった月明かりも、15歳の時に引っ越した郊外では、まるで身体中に降り注いでくる程の月明かりだったのです。
青く実りを迎えた稲穂は、月明かりに照らされて光る海のよう。
家々の屋根が、濡れたように鈍く輝いています。

そんな中、さっきまで一緒にいた彼女の温もりを反芻しながら、ゆっくりと自転車を漕ぐのが好きでした。

別れのときは雨の日が似合います。
幸せの中にいる時は、陽の光が似合います。
愛しい彼女との暫しの別れには、月の明かりが最も似つかわしいのでしょうか。

Moon River / Audrey Hepburn

2019/03/21

Old Days

仕事に使う資料を探そうと思いき、物置をごそごそ探していたら古い日記帳が出てきた。
見覚えのある、表紙に染みついた滲みのかたち。

そう、「あの頃」の僕が書いていた日記だ。

さぞかし、恥ずかしい事を書いていることだろうと思い、ページをぱらぱらと捲ってみたのだが
意に反して、案外マトモな事を書いているのには少々驚いた。
但し、ページの所々に書いてある「詩」はいただけない。
妙に肩の力が入っているのやら、自己満足の極みのようなものやら
それらは、あまりにも幼く、そしてあまりにも混迷している。

しかし、少なくとも「今の僕」よりも、はるかにピュアで純粋な「あの頃の僕」がいた。
抱え込んでいる諸所の問題を解決できないでいる僕や、迸る感情を持てあまし
途方に暮れている僕が、 確かにそこに存在していた。

懐かしさよりも、「あの頃の僕」を抱きしめてやりたくなる。

あの時、空を見上げた僕の目に映ったであろう「あの日の空」が
行き場のない、もどかしい愛の行方を想いながら、タメイキ混じりに眺めた教室の外の風景が
亡霊のように今、時を超えて蘇る。

Old days / Chicago

2019/03/20

Round Midnight

現在、AM 1:20
こんな時間に、ブログを更新しても禄なことはない。
大体において、夜中に書いたラブレターは、翌朝見ると恥ずかくて仕方のない代物なのだ。

夜という時間は特別。
深夜にひとり心地良い時間を過ごすのは格別。
それは、少年の頃から変わらぬ僕の思いだ。

そして夜は多弁でもある。
誰かさんが、「歴史は夜作られる」と言ったが、それはまさしくその通りなのであろう。
夜は人々を赤裸々にさせるのだ。

古から、人類は闇を恐れてきた。
闇には恐ろしい魔物が住んでいると、世界中のどこの国でも考えられてきた。
そして、そんな恐怖感を払拭するために、人々は技術を進化させ何とか闇を葬り去ろうとしてきたのだ。
が、やはり闇は変わらずそこにある。
人知の及ばぬモノが、そこには確実に存在しているのであろう。

夜中に、ひとりビールを飲みながらPCに向かう。
さすがにこの時間、どのSNSにもログインしている人はいない。
そう、これは僕だけの大切な時間なのだ。

夜は優しい。
そして、僕は残ったビールを飲み干すと、その優しさに包まれて眠る。

 
 Miles Davis Quintet - 'Round Midnight

R・I・P Yuya Uchida

ロック歌手で映画俳優としても活躍した内田裕也(うちだ・ゆうや、本名内田雄也)さんが17日5時33分、肺炎のため、東京都内の病院で死去した。79歳。兵庫県西宮市出身。17年11月に脱水症状で倒れてから車椅子生活を余儀なくされていた。18年9月15日に妻で女優の樹木希林さん(享年75)に先立たれ、喪失感が消えない中での死となった。都知事選出馬など常に話題を提供し続けたロック界のカリスマだった。葬儀は近親者のみの家族葬で執り行い、後日お別れ会を執り行う。
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6317390

樹木希林が亡くなって半年。
ロックンローラー内田裕也が逝った。

僕が彼を知ったのは1970年の「日本語ロック論争」だった。
論争と言っても、当時人気のあった「はっぴいえんど」に内田裕也がイチャモンつけたようなもので、実のところ論争でもなんでもなかったような記憶がある。

その後、1971年に"フラワー・トラベリン・バンド(Flower Travellin' Band)"にハマった僕は、プロデューサーが内田裕也というのを後から知ることになる。

"内田裕也と1815 R&R Band"なんてバンドも聴いたが、さほど興味を惹く対象ではなく、僕にとっての内田裕也はロックンローラーやミュージシャンというよりも、偉大なプロデューサー、或いはコンサートプロモーターという認識だ。

マスコミでは奇行ばかりが報道され、その音楽的な事は殆ど語られることのない彼だが、実は日本のロック界に彼が与えた影響は計り知れない。
先にあげたプロデューサーとしての功績も多いが、やはり何と言っても日本に大規模な野外コンサートを根付かせた事は彼の経歴の中で最も素晴らしいことだろうと思う。

Flower Travellin' Band - Make Up (1973)

2019/03/17

YOUNG MUSIC SHOW

今は幸せな時代だ。
好きなミュージシャンの姿は、DVDを買えば見ることが出来る。
いやそれどころかYouTubeを見れば、それこそ莫大な数の動画を見ることが出来る。
中にはお宝と言ってもいいような動画もある。

僕らが音楽を始めた頃、演奏してる憧れのミュージシャンの姿などを見る事はまず無理だった。
せいぜい音楽雑誌のグラビアに載っている姿を見るのが関の山だったのだ。
もちろん当時中学生の僕には、外タレのコンサートに行けるようなお小遣いは持っていなかった。

が、そんな僕らにも時として実際に彼らがプレイしている姿を見ることが出来る日があったのだ。
それが1971年から1981年にかけてNHKが放映した「ヤングミュージックショー」
MTVさえまだなかった時代なので、この番組は僕らにとってまさしく神様的な存在だったのだ。


僕が始めてこの番組を見たのは、確か「EL&P」の時。
キース・エマーソンがオルガンにナイフを刺し、上に飛び乗るプレイを鮮明に覚えている。

調べてみると、全部で40回放映されたらしい。
以下に放映リストを載せてみる。どれだけ見ることが出来たのだろうか。


【NHKヤング・ミュージック・ショー放映リスト 1971/10~1979/3】
01 1971/10/24 クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル
02 1972/07/05 ローリング・ストーンズ(69/7/5ロンドン・ハイド・パーク)
03 1972/05/07 クリーム(68/11/26ロイヤル・アルバート・ホール)
04 1972/08/25 スーパーショウ(69/3ステーヴン・スティルス、バディ・ガイ、レッド・ツェッペリン、エリック・クラプトン、ジャック・ブルース、MJQ、ローランド・カーク他)
05 1972/10/08 エマーソン・レイク&パーマー
06 1973/03/17 ピンク・フロイド(71/10ライブ・アット・ポンペイ)
07 1973/03/18 リンディスファーン(73/02/13NHKスタジオ)前座ジプシーブラッド
08 1973/08/05 レオン・ラッセル&ヒズ・ビューティフル・フレンズ(71米国TVスタジオライヴ)
09 1973/10/20 エルトン・ジョン(ロンドン・フェスティバル・ホール)
10 1973/12/22 キャット・スティヴンスとディープ・パープル(スタジオ・ライヴ)
11 1974/08/04 エマーソン・レイク&パーマー(展覧会の絵コンサート)
12 1974/10/12 ロッド・スチュワート&フェイセス(英国エドモント公演)
13 1974/12/31 スリー・ドッグ・ナイト(クィーン・メリー号でのコンサート)
14 1975/03/15 ローリング・ストーンズ(ヴィデオ・クリップ集)
15 1975/05/10 ストローブス(75/4/14NHKスタジオ)
16 1975/08/30 モンタレー・ポップ・フェスティバル’67 解説:渋谷陽一
17 1975/10/04 シカゴ、ウェット・ウィリー、マーシャル・タッカー・バンド、オールマン・ブラザース・バンド
18 1975/12/21 リック・ウェイクマン(ヘンリー8世氷上ショー)
19 1976/05/05 ベイ・シティ・ローラーズ
20 1976/06/20 イエス(76/7ロンドン・クィーンズ・パーク公演)
21 1976/08/28 スーパー・トランプ(76/5/26NHK101スタジオ)
22 1976/10/09 ロッド・スチュワート&フェイセズ(74/12/23ロイヤル・アルバート・ホール)
23 1976/12/30 フリートウッド・マック、ロキシー・ミュージック(スウェーデン放送制作)
24 1976/12/19 ベイ・シティ・ローラーズ(76/12/19NHK101スタジオ)
25 1977/03/12 ローリング・ストーンズ(76/6パリ・アパトワール)
26 1977/05/07 キッス(77/04/02武道館)
27 1977/08/06 バスターとピーター・フランプトン
28 1977/09/10 ブライアン・フェリー(77/6/9NHK101スタジオ)
29 1977/07/08 グレッグ・オールマン(77/7/8NHKスタジオ)
30 1977/12/24 サンタナ
31 1978/01/02 パット・マグリン(NHKスタジオ)
32 1978/03/11 ボブ・マーリィ&ザ・ウェイラーズ(77/7/5レインボーシアター)
33 1977/12/05 フリートウッド・マック(77/12/5武道館)
34 1978/05/05 ロッド・スチュワート(76/12/24ロンドン・オリンピア)
35 1978/05/06 エレクトリック・ライト・オーケストラ
36 1978/08/05 レインボー(ミュンヘン・オリンピア・ホール)
37 1978/08/27 チープ・トリック、E.W&F
38 1978/09/02 ドゥービー・ブラザーズ(76サンフランシスコ・カウパレス)
39 1978/10/01 グラハム・パーカー(78/10/1NHK101スタジオ)
40 1979/03/26 デヴィッド・ボウイ(78/12/12NHKホール)

と、こんな風に並べてみると、見ていない方が多いじゃないか!
これ、DVD化される事はないのだろうか。
版権の関係で難しいのかな。
 

2019/03/10

Anthology "Takurou Yoshida"

大きな声では言えないが、実はよしだたくろうでギターを始めた口だ。
おんぼろガットギターを手に入れて、最初にギターコードを覚えたのは小柳ルミ子の「瀬戸の花嫁」だったのだが、YAMAHA FG-180を手に入れてから本格的にギターに取り組んだのは、よしだたくろうだった。

その当時の僕は、寝ても覚めてもたくろうで、彼の載っている音楽雑誌、週刊誌、何でも乏しいお小遣いで買い漁っていたものだ。
それがアルバム『青春の詩』や『たくろうオンステージ』を聞き倒していた1971年の頃。


そして1972年、僕が14歳の夏。名アルバム『元気です』が発売。
それを初めて聴いた時は、それこそ僕の人生すべてがたくろうになってしまったような気になってしまった。
『気ままな絵日記』なんて本を書い、その文章まで真似ていたような記憶がある。曰く「おかげさまで僕は元気なのです」(笑)

考えてみれば、その辺りが彼に対する情熱のピークだったのかな。
その後はご多分に漏れず洋楽に意識が傾いていく。アコギからエレキにギターを持ち替えたのもその頃だ。

しかし、三つ子の魂百までとはよく言ったもので、今でも彼の曲は暗譜で弾けるものが多い。
先日のブログで最近アコギを良く弾いていると書いたが、ふと気づくと「ある雨の日の情景」のイントロを何気なく弾いていたりする。ちゃんとカポを5フレットに付けて。

そんな彼も、僕にとって今では「Anthology」のカテゴリーに入る人。
アルバム『お伽草子』以降はまったくと言っていいほど聴いていない。
と言うか、あれほど聴いていたあの頃のアルバムも、もう何十年も聴いていない。

しかし今でも好きなミュージシャンであることには間違いない。
肺がんを患ってからというもの、完全復帰とまではいかないようだが、いつまで元気でいてほしいと願うのだ。
それこそ「おかげさまで僕は元気なのです」なのです。

と、ここまで書いて気づいた。
どうやらツアーをやるらしい。
ご本人曰く、「これが最後のツアー」なんだそうだ。

うーむ。
見てみたいようなそうでないような・・・

2019/02/24

April, come she will

こんな季節にぴったり!
サイモン&ガーファンクルの「4月になれば彼女は」
1967年の映画『卒業』の中に使われている。

この曲、実はお別れの曲なんだよね。
4月になったら彼女はやってきて、5月は僕の隣で過ごすんだけど
6月には早くも心変わりをし始め、7月には去っていくという、何とも移り気な女の話。
9月には思い切り思い出に浸っているし・・・( ´Д⊂

 April Come She Will / Simon & Garfunkel

2019/02/23

Ma・ri・e

1984年

梅雨空の夕刻

僕は彼女と別れた

「お願い、好きだからこそお別れするの」

それが彼女の最後の言葉

僕は霧雨の中

単車で泣きながら彼女の家を後にした

あの雨の季節

僕は確かに恋をしていた

そして

それは静かに終わった



Ma・ri・e / Bread&Butter





2019/02/10

My Favorite Movie Vol.2 "Rosemary's Baby"

深夜、自宅での仕事をしながらCSでオンエアされているのを観るともなく観る。

『ローズマリーの赤ちゃん(Rosemary's Baby)』1968年 アメリカ映画

製作:ドナ・ホロウェイ 監督:脚本:ロマン・ポランスキー
原作:アイラ・レビン 撮影:ウィリアム・A・フレイカー
音楽:クリストファー・コメダ
出演:ミア・ファロー、ジョン・カサベテス、モーリス・エバンス、ルース・ゴードン

公開が1968年なので、封切りでは観ていない。
僕が観たのは1972年、14歳の夏。
確か西新宿カブキ座という2番館で観たと思う。

その時は、いや何でこんな映画を見に来たんだろうと後悔しきり。
一緒に行ったM子ちゃんも妙に無口になるし・・・。

ポランスキー監督の何とも言えない「ヌメッ」とした演出、得体の知れない恐怖感から見る見るうちにやつれていくミア・ファロー、クリストファー・コメダの哀愁を帯びたメロディ。そして闇に響く赤ちゃんの泣き声。
アメリカ映画なんだけど、ヨーロッパ的な陰湿さが全編に纏わり付いている。
今観てもやたら怖いぞ。

監督のポランスキーはポーランド人ということになっているが、実はユダヤ人。
ナチスのホロコーストで両親は収容所送りになり、自身も逃亡生活を送っている。
そんなバックボーンを持つポランスキーだからこそ成し得た恐怖感ではないだろうか。

そして何よりも怖さに拍車をかけていたのは、ポランスキー監督の奥さんが実際に惨殺された1969年の事件。
これはこの映画の呪いだったのだと、当時の僕らは大真面目に信じていた。

基本的に、僕は洋画のホラーはあまり怖いとは思っていない方だ。
ホラーに関して言えば邦画の方がずいぶん上質だと思っている。
それは西洋人が考える恐怖感と、僕ら日本人が覚える恐怖感の違いから来るのだろう。

そしてもうひとつ忘れてならないのが、映画館だ。
昔の映画館は汚かった。本編が始まれば、灯っている明かりは非常口の青っぽい光だけだし、妙にかび臭いし、ロビーは便所臭い。
館全体にジメッとした湿気が淀んでいた感じがあった。
そんな雰囲気が、いかにもホラー映画によく似合っていたのだ。

それに比べて最近の映画館は清潔だし、何よりも明るい。
そしてくっきりはっきりのデジタル処理。
映画の中の妖怪や怪物も、さぞかし住み難いだろうと同情してしてしまう。

2019/02/05

We're all alone

CSのMUSIC AIRでオンエア中。

ドナルド・フェイゲン、ボズ・スキャッグス、マイケル・マクドナルドの3人によるコンサート『Live 2016』
僕の70年代後半から80年代前半を彩ってくれたお三方。
どの曲にもあの頃の、あの風景が目に浮かぶ。


70年代も終わりになろうかという年の暮れ。
街がやがて迎えるバブルの熱気をそろそろ漂わせ始めていた頃だ。

僕はお目当ての女の子と飲んでいた。
彼女はBA-TSUという名のDCブランド・ショップで働く、所謂ハウスマヌカンと呼ばれたワンレグでいい匂いのする女の子だった。

1軒目は食事を兼ねた居酒屋。
2軒目は当時流行り始めていたプールバー。
そこでひとしきり球を撞いたあと、もう少し飲もうかと言う話になった。

紫煙に煙る店内の壁掛け時計はそろそろ午前0時を指そうかとしている。

表に出ると、細やかな雨。
彼女は粗い綿のロングコートを徐に脱ぐと、僕と彼女の頭からすっぽりと被せた。
コートの中の世界は彼女の甘い香りでいっぱいだ。

雨に光る夜の歩道を僕らはゆっくりと歩いた。
いつまでもこの時間が続けばいい、この甘い香りと彼女の体温を感じていたい。

そんな僕のささやかな願いも虚しく、行きつけのショットバーのネオンが目に入る。

暖房が程よく効いた店内で彼女は濡れたコートを壁にかける。
僕は自分のために「バーボン・ソーダ」
そして彼女のために「ジン・トニック」を頼み、古びたカウンターのスツールの腰掛ける。

彼女が隣にそっと座り、小さな声で「乾杯」と呟いたまさしくその時に事件は起こった。


僕がカウンターに置いていたポケットベルがピ・ピ・ピ・・・・と鳴り始めたのだ。
彼女がちらりと横目でそれを見る。

そのポケベルのディスプレイには


「3341」


その日を最後に、彼女とは一度も逢っていない。

We're All Alone / Boz Scaggs









2019/02/03

Rainy Day

雨は優しい。
憎しみや怒りも
しずかに静かに包み込んでくれる。

醜い嫉妬心や羨望
そんなものさえも包み込む。

ひとり
雨音を聴いていると

「大丈夫だよ」

そう言ってくれているような気がする。





Rain, Rain, Rain/Simon Butterfly

2019/02/02

Let it be

1969年1月2日から1月31日の間に撮影された膨大な未公開映像をもとに、ザ・ビートルズの新たな映画が製作されることが明らかになった。『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズなどのピーター・ジャクソンが監督を務める。
https://www.cinematoday.jp/news/N0106543



これが今から楽しみ。

ビートルズの映画といえば、『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!(A Hard Day's Night)』『イエローサブマリン(Yellow Submarine)』『Let it be』の3本が有名だが、僕が最も印象深かったのはやはり『Let it be』かな。

古いビルの屋上での”Get back"は圧巻だったし、ビートルズの4人のあのシラけた感じが バンド末期の得も言われぬ味を醸し出していた。
そしてその中心にはオノ・ヨーコ。
当時世界中のビートルズファンから憎まれた、世界で最も有名な日本人だ(笑)



ポールがピアノの弾き語りで歌う”Let it be"
「ある日、マリア様が僕のそばに来てこう囁くんだ。そう『なすがままに』」


Let it be / The Beatles

「なすがまま 」なら「きゅうりがパパ」なんて親父ギャグを言ってはいけない( ・∀・) \(`-´メ)バシッ

2019/01/31

Alone again Naturally

『お願い、これ以上優しくしないで・・・』

これは、僕が18歳の頃に付き合ってた娘に振られた時の言葉(笑)

この世には基本的にはオトコとオンナしかいない。
一部マイノリティな方々もいるのだろうが、そんな方達も心はどっちかのはずだ。

当然、それだけのオトコとオンナのドラマが存在する。

大体において、オトコは過去を大切にする。
オンナは今が全てだ。そして確たる未来を欲しがる。

僕らが大切にしている想い出を、「え?そんな事あったっけ?」の一言で片付けられてしまうのも良くある事例のひとつだろう(笑)

いずれにしても、オトコとオンナは恋に落ち、そして悲喜交々に同じ時を過ごす。

春に出会い、夏に燃え上がり、秋は親密さに酔い、そして降りしきる雪の中で彼女の背中を見送る。

そんな二人のシーズンに必ず聴こえていた曲がある。
その折々に流れていたあの曲。
カーラジオから
ふと立ち止まった街角で
灯を消したあの部屋で・・・


Alone again Naturally  /  Gilbert O'Sullivan

Apple

僕が初めて触れたPCはMacintosh SE/30だった。
1991年だったと記憶している。
メモリは1MB、HDDは20MBという、今では到底信じられない仕様だ。

その後、ColorClassicⅡを使い、最終的には1996年にPowerMacintosh 7600/200へと移行する。
HDDは1.2GB、メモリは最大で512MBまで進化していた。

ちょうどその頃Windows95がリリースされ、世間にPCというアイテムが一気に浸透し始める。
僕は主にDTMがメインだったので、Macを使い続けていたのだが、仕事関係にはじわりとWindowsが浸透し始めた。
そう、職場に一気にOfficeが普及し始めたのだ。
で、仕方なく僕もWindowsを使い始めたのだが、結局は95、98、NT、2000、XP、7、10とずるずるとWindows遍歴を重ねてしまう。

WindowsとMac。
何かと比較される両者ではあるが、そこはやはり一長一短なのだろう。

で、20年ぶりにMacに里帰り。

MicrosoftになくてAppleにあるもの。
それはワクワク感だ。

そして今のAppleにそのワクワク感があるのかと言えば、それは甚だ疑問に感じるのが正直なところ。

が、あのワクワク感を今だに求めている僕が確かにいる。

2019/01/30

Chet Baker

雨降りの月曜日の朝に、彼の歌声を聴くと、必ず仕事に行きたくなくなる。
それほどに彼の声は怠惰に満ちていた。
80年代が、青い空と、海と、サーフボードに満ち満ちていた時、その裏面に彼がいつもいた。
薄暗いショットバーに、彼の歌声とペットの音が良く似合った。
彼の破滅的な生き方が、妙に軽薄で明るすぎる80年代の空気になぜか似合っていた。

1988年5月13日、チェットはオランダアムステルダムのホテルの窓から空へと飛び立つ。

その日以来、僕を仕事に行かせなくなる程のミュージシャンは現れていない。

Heart of Mine

Boz Scaggsを聴くと、あの混沌としていた頃を思い出す。
視界がいいのか悪いのか、夢を見ているのか現実の淵を歩いているのか。
愛しているのか愛されているのか。

そして、あの頃の僕は誰だったのか。

2019/01/27

Internet

自宅のInternet接続環境を電力系からBiglobeのWiMAX+に変えた。

届いたのはなぜかUQモバイルのロゴの入ったルーター。
しかも昨今世間を騒がせているHUAWEI謹製のルーターだ。
これで僕も立派な売国奴である( ・∀・) \(`-´メ)バシッ

 

2019/01/26

My Favorite Books Vol.2

実は古い四コマ漫画が好きなのだ。
それも戦後から、新しくても30年代のモノがいい。

僕の育った家には、結構な量の本が本棚に収まっていた。
純文学から外国文学、はては哲学書の類までそのコレクションは多岐に渡っていたが、その中に4コマ漫画が結構な冊数で混ざっていた。
「サザエさん」は当時でほぼ全巻揃っており、長谷川町子の他の書では「意地悪ばあさん」「エプロンおばさん」「新やじきた道中記」なんてのもあった。

幼稚園か小学校低学年だった僕は、その類の四コマ漫画を良く読んでいた。
いつもおやつを食べながら読んでいたりしたので、こぼれカスやみかんの汁で出来た染みなどを今でも確認出来る(笑)

さて、「サザエさん」を始めとする長谷川町子の一連の漫画は語られる事が多いので、今日は違う漫画のお話。



まずは秋好馨による「轟先生」




当時の僕には知る由もないが、読売新聞に連載されていたらしい。
戦後すぐの風俗が今読むと驚きだ。
闇市や配給、何とヒロポン(今で言う覚醒剤)までが登場する。
基本的に大人向きの漫画なので、僕には理解できないお話や漢字も多かった。
そしてやはり新聞での連載漫画らしく、当時の世相をリアルタイムに反映しているので「ゼンケントクシ」なんて言葉をこの漫画で覚えたものだ。
 


これに比べるとやや理解しやすかったのが「フクちゃん」
作者は横山隆一。
こちらは朝日新聞への連載。
朝刊が「フクちゃん」、夕刊が「サザエさん」という贅沢な時代があったんだね。

この漫画を改めて調べてみると、主人公のフクちゃんは養子ということになっている。
スタート当初は「養子のフクちゃん」というタイトルだったようだ。
今では到底考えられないタイトルだね。

当時の僕は養子と言う言葉も知らないし、ましてや大人の複雑な事情なんてものも興味がなかったので、純粋にフクちゃんの活躍を楽しんでいたように思う。

とは言っても、やはり理解出来ないお話も多かった。
前述の「轟先生」も家族間の関係はかなり複雑だ。
そしてこの「フクちゃん」もまた然り。

そんな辺りに、両親が離婚し叔母に育てられていた僕が何かのシンパシーを感じたのかも知れない、と今になっては思うのだ。



そしてあまり好きではなかったが、そのくせよく読んでいたのが加藤芳郎の著による「まっぴら君」





こちらは毎日新聞での連載。

これはさすがに理解できなかった(笑)
世相をバッサリ切りつけ、風刺の精神も強いので、子供には難しかった。
飲み屋の場面も多いしね。
1ページ目、第1話は何と二重橋事件を取り扱っている。

それでも惹かれて読み耽っていたのはどういう訳なのだろう。
垣間見る大人の世界に憧れていたのだろうか。

他の漫画を読んでいる時はそんな事がないのだが、周りの大人達は、この漫画を読む時だけいい顔をしなかった。
それはやはり男女の関係の妙を書いた内容も多かったからなのだろうと、今となっては思う。

まぁそのおかげでとんでもない耳年増の子どもが出来上がった訳なのだが(笑)







さて、最後にご紹介するのは、僕が一番好んで読んでいた四コマ漫画。
長谷川町子のごく初期の作品、「仲よし手帳」だ。
実家を出て上京、祖父母の家に同居し学校へ通うマツ子さんが主人公。
お友達はタケちゃんとウメちゃんだったと記憶している。
何と1940年に最初の連載を「少女倶楽部」で開始している。
この表紙は復刻版。
当時の絵調はもっと古く、時代感がたっぷりだ。
我が家にある四コマ漫画の中でも一番古かったのではないだろうか。
僕が物心ついた時には、表紙も背表紙も取れて、紙は茶色く変色していた。

内容的には上に書いたように、上京し、転校したマツ子さんが引き起こすドタバタ劇なのだが、その中身は非常に戦前的だ。

旧い日本の道徳観がそこにはある。
親を敬う事を忘れていないし、もちろん教師は尊敬の対象だ。
勉学の傍ら家業を手伝うのは当然の事だし、子守もちゃんとする。


そして特筆すべきは、その言葉と所作の美しさだ。
そこには現代人が忘れ去った日本人の美徳が、至る所に散りばめられている。

そうだ!
一度実家に帰り、本棚の旧い本を漁ってこよう。
そしてあの頃と同じように、あまり上手くない硬いせんべいを齧りながら読み耽ってみたいと願う。




Smartphones

僕はiPhoneXを使っている。
2009年にSoftbankから発売された3GSからのiPhoneユーザーなので、機種変を繰り返しながら、かれこれ10年iPhoneを使い続けているわけだ。





これが当時使っていたiPhone3GS。
なんと!
当時はBlackBerryユーザーでもあったのね。
まだIBM時代のthinkpadも使っていたのか。

そっか、思い出したぞ。
ネットやスケジュール管理は3GSで、通話はBlackBerryでというスタイルだったのだ。

まぁしかし10年は長いようで短いね。
3GSから始まり、4S、5S、SE、7、Xと使ってきた根っからのiPhoneユーザだが、実はわずか半年だけAndroidに浮気をしたことがる。
ASUSの今はもう名前も忘れたモデルだが、決して悪くはなかった。
が、iTunesとiCloudでまんまとAppleの囲い込みにハマっていた僕には到底使い続けることが出来なかったのだ。

しかし考えてみると、このスマホってやつはなんだろうね。
この小さな機材に、いくつの機能が備わっているのだろう。
ざっと考えてみただけでも、通話は言うまでもないが、本、漫画、雑誌、メール、カメラ、スケジュール帳、アドレス帳、アルバム、辞書、ラジオ、機種によってはテレビ、電卓、メジャー、コンパス、時計、ストップウォッチ、時刻表、ビデオカメラ、アラーム、財布、カーナビ等々上げればキリがない。
これだけの機材をカバンに詰めたらいったいどれだけ重くてかさばるのだろうか。
それがわずか200g前後の小さな箱に収まっていうのだから、今更ながらこれはもう驚異という他はない。

スマホ依存が問題になっている昨今。
そりゃこれだけの機能が備わっていればおのずと依存になるだろうってお話。
いや、依存というよりももはや必需品だろう。

依存が悪とするならば、それはスマホではなくSNSの方ではないか。
と僕は考える。

2019/01/22

My Favorite Books Vol.1

『1973年のピンボール(Pinball,1973)』村上春樹 1980年発表 

さようなら、3フリッパーのスペースシップ。さようなら、ジェイズ・バー。双子の姉妹との“僕”の日々。女の温もりに沈む“鼠”の渇き。やがて来る一つの季節の終り―デビュー作『風の歌を聴け』で爽やかに80年代の文学を拓いた旗手が、ほろ苦い青春を描く三部作のうち、大いなる予感に満ちた第二弾(文庫本背表紙より)


今更、村上春樹でもないのだろうが、あの当時、確かに僕に強い影響を与えた作品。

この物語が発表される9ヶ月前、村上春樹は「風の歌を聴け」でデビューしている。
もちろんその作品も読んだのだが、正直言ってその世界観に惹かれはしたが、個人的な感想として、これは物語ではなく、あくまで散文詩なのではないかと思っていた。
そんな思いを持ったまま本作品を手にしたのだが、豈図らんや、こちらはちゃんと物語になっていた。

そのお話は、前作で通っていた大学を卒業し、友人とふたりで翻訳事務所を経営している「僕」と、同じく大学を中退し、現実感を消失したまま無為に暮らしている「鼠」のふたりの物語がパラレルに並行しながら進んでいくが、それは決して交差することはない。
もちろん前作に登場した「ジェイズ・バー」も登場するし、多くは前作からの続編という側面で書かれている。


1973年、僕は近所の大きなスーパーの軒下に置いてあるピンボールマシンにハマっていた。
家人が寝静まった夜中に家を抜けだしては、毎夜レバーをガチャガチャ言わせ、飽きれば同じ敷地内に出来ていた24時間営業のミスタードーナツで、ジェリードーナツをぱくついていた。そしてまたピンボールマシンに興じていたのだ。
それは今から考えると、ほんの少しのアウトロー的な自分に酔っていたのだろう。そんな自分をカッコイイと確かに思っていたフシがある(笑)
そんな15歳のひと冬を過ごした経験がある僕がこの作品を読んだ時に、思わずそのカッコ良かった(と自分では思い込んでいた)自分の姿に物語を投影したのは言うまでもない。


この作品で圧巻なのは、やはり探し求めていたピンボールマシンとの再会の場面。
このクライマックス感は、散文詩と僕が感じた前作にはなかったもの。

『スイッチはその扉の脇にあった。レバー式の大きなスイッチだった。僕がそのスイッチを入れると、地の底から湧き上がるような低い唸りが一斉にあたりを被った。背筋が冷たくなるような音だ。そして次に、何万という鳥の群れが翼を広げるようなパタパタパタという音が続いた。僕は振り返って冷凍倉庫を眺めた。それは七十八台のピンボール・マシーンが電気を吸い込み、そしてそのスコア・ボードに何千個というゼロをたたき出す音だった。音が収まると、あとには蜂の群れのようなブーンという鈍い電気音だけが残った。そして倉庫は七十八台のピンボール・マシーンの束の間の生に満ちた。一台一台がフィールドに様々な原色の光を点滅させ、ボードに精いっぱいのそれぞれの夢を描き出していた。』

「風の歌を聴け」「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」の初期3部作の中で、僕は本作が一番好きだ。
それは内面にしか向いていなかった主人公である「僕」の世界観が、ここから外に向かい始めていく、その端正な瑞々しさが好きだから。
前述のピンボールと併せて、それは1973年の僕の姿と重ね合わせていたのかも知れない。

2019/01/21

My Favorite Movies Vol.1

『名もなく貧しく美しく』 1961年東宝
監督:松山善三 主演:小林桂樹、高峰秀子
美しく、そして哀しく気高い映画だ。

誤解を恐れずに言えば、僕は身体障害者の方同士の結婚には少々懐疑的ではあるのだが、その辺りもこの映画にはきちんと描かれている。

言うなればこの映画に登場する人たちは社会の最下層に生きる人々。
そんな彼らが幸せになろうと必死に足掻くのだが、その結果はあまり芳しくない。
貧乏ながらもやっと幸せを掴めたかと思うと、次から次へ問題が降りかかってくる。
それでもこの夫婦は懸命に、健気に生きていく。
が、その結末は・・・・・

娯楽の少ない時代の日本映画には、粗製濫造ゆえに見るに耐えられない映画も多いのだが、この映画のように名作と呼ばれる作品が多々存在している事も事実。
観客動員数がどうとかではなく、監督の伝えたい事がきちんと描かれている作品だ。


この映画は興行としても大成功したのだが、そのおかげで、「手話」というものが一気に世に知らしめられる事となる。
それまでは読唇術が主流であり、手話は蔑ろにされていた。
が、この映画がきっかけとなって世の中は手話が主流になっていったのだ。

主演の小林桂樹と高峰秀子との間に交わされる会話、それはほぼ手話で行われるのだが、その手の動きの美しさはどうだろう。
圧巻は何と言っても電車の窓越しでの会話。
それは思わず息を飲む美しい場面でもあった。

いつか仕事をリタイアして、無為な時間を過ごす機会ができたら
古い日本映画をゆっくり見たいものだ。

2019/01/03

Bohemian Rhapsody

映画、「ボヘミアン・ラプソディ」を観てきた。



大体に於いて僕は天の邪鬼な方なので、誰もが良いという映画は斜に構えて観てしまう癖ががある。
悪しき例の「ラ・ラ・ランド」のように、この映画も実は言うほど大した事はないんじゃないかとあまり期待せずに出かけたのだ。

が、その予想は見事に裏切られる事となる。

まず本編前の"20th Century Fox"のロゴ。
いつもは無音だが、そこにQueen風の4声コーラスとブライアン・メイらしいギターの音が入る。
もうそれだけで期待値はMaxではないか。

オープニングは、Live Aidのメインステージに向かうフレディ・マーキュリーの背中から。
そこから一気にエンディングまで見入ってしまった。
デビュー前にパブに向かうシーンで、CREAMの「Sunshine of Your Love」のイントロが一瞬挿入されるシーンも胸を熱くする。

そしてラストのライブシーン。
これはもう圧巻だ。
一曲目のBohemian Rhapsodyから僕は泣いていた。

フレディ・マーキュリーの栄光と挫折を描いたこの映画。
その根底にあるものはコール&レスポンス(呼応)だと僕は思う。

「エーオー」ってやつね。

フレディが何かを呼びかけ、そして誰かが応える。あるいはその逆。
 その場面が何度も登場する。
それは上手く呼応する時もあればそうでない時、関係が破滅していく予感をも描いていた。
例えば元恋人のメアリーと別居し、窓越しに電話でのやり取りと灯りでのコンタクト。
その直前に新居に呼んだロジャーとのシーン。

誕生日会で名前を変えたフレディが 電話を取った妹の呼びかけに応える場面がある。
「フレディ・マーキュリー、電話よ」

そこからQueenの伝説は始まった。
そして数多の呼応と挫折を繰り返しながら、ラストの大観衆とのコール&レスポンスへと向かうのだ。
AIDSの診療に訪れた病院の廊下で出会った患者の少年との小さなコール&レスポンス。
あれこそがフレディの背中を押したのだと僕は思う。


いい映画だった。


実は1975年に武道館で Queenを僕は見ている。
この映画で言えば、アメリカツアーが決まる直前の話だ。
「キラークイーン」はヒットしていたが、どちらかと言えばベイ・シティ・ローラーズと同等の扱いをされていた彼らに僕はさほど期待せずに武道館へ出かけた。

が、その予感は見事に裏切られた。
素晴らしいパフォーマンスと圧倒的な存在感に僕の胸は高鳴った。

今回、その時の気持ちをもう一度味わった気分だ。


I was born love to you / Queen